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岬の端
みさきのはし |
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作品ID | 4448 |
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著者 | 若山 牧水 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本の名随筆92 岬」 作品社 1990(平成2)年6月25日 |
入力者 | 渡邉つよし |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2002-12-06 / 2014-09-17 |
長さの目安 | 約 10 ページ(500字/頁で計算) |
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細かな地図を見ればよく解るであらう。房州半島と三浦半島とが鋭く突き出して奥深い東京湾の入り口を極めて狭く括つてゐる。その三浦半島の岬端から三四里手前に湾入した海浜に私はいま移り住んでゐるのである。で、その半島の尖端の松輪崎といふのは私たちの浜からやゝ右寄りの正面に細く鋭く浮んで見ゆる。方角はちやうど真南に当る。また、前面一帯は房州半島で、五六里沖に鋸山や二子山が低く聳え、左手浦賀寄りの方には千駄崎といふ小さな崎が突き出てゐる。だから眼前の海の光景は一寸見には四方とも低い陸地に囲まれた大きな湖のやうで、風でも立たねば全く静かな入江である。それで、奥には横浜あり、東京あり、横須賀があつて、其処へ往来の汽船軍艦が始終出入りしてゐるので、常に沖辺に煙の影を断たず、何となく糜爛した、古い入江の感をも与へる。
私の居るのは千駄崎寄りの長さ二三里に亘つた白浜で、松の疎らに靡いた漁村である。浜に出ると正面に鋸山が見える。続いて目につくのは右手に突き出た松輪崎である。細かくおぼろに霞の底に沈んでゐた時も、うす/\と青みそめた初夏の頃も、常になつかしく心を惹いてゐた。一度その崎の端まで行つて見度いとは、早春こちらに移つて来て以来の永い希望であつた。盛夏のころ一月あまりを私は下野信濃の山辺に暮してゐたのであつたが、帰つて来て眺めやつた海面は、いつの間にかすつかり秋になつてゐた。日毎に微かな西風が吹いて、沖一帯にしら/″\と小さな波が立つてゐる。とりわけて目を引いたのは松輪崎の尖端に立つてゐる白浪で、西から来る外洋のうねりを受け、際立つて高い浪が真白に打ちあげて、やがては風に散つて其処等を薄々と煙らせてゐる。
其処からずつと脊を引いた岬一帯の輪郭は秋めいた光のかげにくつきりと浮き出て見えて居る。
或日、とりわけて空の深い朝であつた。食後を縁側の柱に凭つてゐたが、突然座敷の妻を見返つた。
『オイ、俺は今から松輪まで行つて来るよ、いゝだらう。』
『今から?』
とは驚いたが、兼ねて行き度がつてゐるのを知つてゐるので、留めもしなかつた。
『そして、いつお帰り? 今夜?』
『さア、よく解らんが、彼処に宿屋があるといふから気に入つたら一晩か二晩泊つて来やう、イヤだつたら直ぐ帰る。』
幾らか小遣銭を分けて貰つて私はいそ/\と家を出た。風が砂糖黍の青い葉さきに流れて、今日も暑くなりさうな日光がきら/\と砂路に輝いてゐる。
道路を外れて直ぐ浜に出た。下駄を脱いで手頃の縄に通して提げながら高々と裾を端折つた。波打際の濡砂の上を歩いてゆくと、爪先が快く砂に入つて、をり/\は冷たい波がさアつと足の甲を洗ふ。
今日も風が出てゐた。渚から沖にかけて海はしら/″\とざわめいてゐる。不図目をあげると思ひも寄らぬ方にほんのりと有明月が残つてゐた。沖の波に似た白雲の片々が風に流れて、紺深く澄み入つた…