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近代劇論
きんだいげきろん
作品ID44492
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集22」 岩波書店
1990(平成2)年10月8日
初出「岩波講座世界文学第十三回」岩波書店、1934(昭和9)年2月5日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2009-10-23 / 2014-09-21
長さの目安約 54 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一 近代劇とは

 この名称は元来、あまりはつきりしない名称で、恐らく「近代」といふ言葉は、moderne の訳に相違なく、してみると、普通使はれてゐる「新時代」といふ意味もあると同時に、歴史上の「近世」を指すことにもなるのである。歴史の方では、中世の後を受けた文芸復興期以後を、詳しく言へば、宗教改革以後を指すのだと記憶してゐるが、仏蘭西歴史によると、Histoire moderne といへば、コンスタンチノオプル攻略(一四五三年)から仏蘭西革命(一七八九年)迄をいふのであるから、その後は「現代」の部にはひるわけである。それなら、「近代劇」とか、「近代文学」とかいふ名称は、文学史的分類である以上、歴史的解釈に従ふ方がいいやうでもあり、また、「近世」といはずして、特に「近代」といふところに、寧ろ文学的ニュアンスをもたせ、近世のうちでも特に現代に近い部分、或は現代を含めた最も「近代的」近代を意味するやうにも取れるのである。
 が、それと同時に、われわれが、近代文学、殊に近代小説とか近代劇とかいふ場合、それだけではまだこの言葉の概念を掴み得たとはいへないやうに思ふ。なぜなら、それはもう、時代そのものの年代的穿鑿を離れて、寧ろ、「近代的」なる質乃至色調の問題に重点をおくのが常識であり、更に、一歩進めて、近代小説といふ言葉よりも近代劇といふ名称の方が、一層、ある限られた、一と纏めになつた、特質のはつきりした部門を指してゐるとも考へられる。つまり、「劇」に於ける「近代的」要素は、小説に於けるそれよりも、何か目立つもの、浮き出たもの、ある一定の方向をとつてゐるものといふ感じがするのである。
 これはいふまでもなく、文化史的考察がその土台となつてをり、劇の方面では、それが単に漠然たる傾向の綜合的観念を越えて、殆ど、ある一定のジャンル、芸術上の種別に近いものを示してゐるからである。
 そこで、「近代劇」とは、所謂「近代文学」の流れに沿つて生れ出た「劇」ではあるが、ただ単に、近代思想を盛り、近代生活を描き、近代的感覚を織り込んだといふやうなこと以外に、「劇」といふ芸術形式に対する近代精神の働きかけ、即ち、「演劇的革新」を目標とする本質的努力を具現した劇であつて、そこには、明かに、意識的にもせよ無意識的にもせよ、因襲の破壊と伝統の探究が、何等かの形で示されてゐなければならぬ。
 その意味で、「現代劇」の様々な先駆的現象は、正しく近代劇の本流と結びつくのであるが、この講座(岩波世界文学講座)で私に与へられた課題は、寧ろ近代劇の源に遡ることにあるのだと解し、さういふ立場から、知つてゐることだけを述べてみようと思ふ。

     二 近代劇の血統

 近代劇が如何にして生れたかといふ問題はなかなかむづかしい問題だ。なぜなら、そのためには、先づ世界の演劇史を一と通り漁らなければ…

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