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癇癪批評
かんしゃくひひょう |
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作品ID | 44512 |
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著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「岸田國士全集22」 岩波書店 1990(平成2)年10月8日 |
初出 | 「劇作 第三巻第十号」1934(昭和9)年10月1日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2009-10-23 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 2 ページ(500字/頁で計算) |
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僕のところの子供は、父親たる僕に話しかける時は、はじめから癇癪を起してゐる。常々、一度や二度呼んだぐらゐで、僕の注意を惹くことは困難だといふことを知つてゐるからだ。「ねえ、パパつたら……」といふ文句を、きまつて頭へつける子供の習癖を、僕は心の中で悲しんでゐる。相手が自分の云ふことに興味がなささうだと思ひ、しかも、それを云はずにをられぬ場合、口調が勢ひヒステリックになる。これは大人にもある。大人げないことだ。
そして、僕自身、屡々、事芝居に関する限り、書くものがこの調子に陥るのである。僕が従来発表した演劇に関する評論乃至感想の類は、どこか日本の劇団と呼吸の合つてゐないところがある。それを、僕が、自分の罪だとは思つてゐないところに、僕の癇癪批評が生れるのである。
何事も急ぐ必要はない。まして、芝居の歴史に一転機を劃するやうな事業が、筆の先でさう易々と仕遂げられるわけはないのである。
劇作同人諸君の言論が、近来、諸所の話題に上り、なかなか盛観であるが、どうもやはり一般と呼吸の合はぬところがあるらしく、従つて、癇癪の反響とも思はれるやうな「怒鳴り返し」が耳にはひる。
若い同士の元気な応酬は、新機運に応はしい光景で、それも結構だが、そのために解る話が解らなくなつては困る。「劇作」の声に耳を傾ける人は、だんだんに多くなりつつあることを信じようではないか。(一九三四・一〇)