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観て忘れる
みてわすれる
作品ID44546
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集21」 岩波書店
1990(平成2)年7月9日
初出「映画時代 第四巻第四号」1928(昭和3)年4月1日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2007-06-22 / 2016-05-12
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 自分で思ひ立つて映画を観に行つたことはまづないと云つていゝ。大ていは女たちの御招伴である。これは映画と女とを一緒に軽蔑してゐるやうに聞えるが、決して女も映画も軽蔑してゐるわけではなく、全く無精だからである。――芝居の方はどうかと訊かれると、これはまた一層ひどい。一年に二三度あるかなし、その代り、これは自分で思ひ立つ。
 評判になつた封切ものなど、家の誰かゞ観て来て話をするのだが、つひそのまゝになつてしまふことが多い。
 今頃こんな標題を持ち出すとその道の人は嗤ふかも知れないが、「嘆きのピエロ」といふのでも、つひ先達ある機会に初めて観たので、それまでは、なんといふことなしに、もう何処かで観たやうな気がしてゐたのである。実物を観た後でも、その前に想像してゐたいろいろの場面が、はつきりしたかたちこそ取つてはゐないが、何時までも頭にこびりついてゐて、実物の印象がだんだん影を薄くして行くのである。
 最近観たものと限られては非常に窮屈になるから、私だけは特別の詮議で、今迄観たものといふ風にして感想を述べさせて貰ひたい。映画について印象めいたものを書くのはこれが始めてだし、さう古いことは思ひ出さうとしても思ひ出せないんですからいゝでせう。
 私が活動写真を観て、始めて芸術的感激をうけたのは「車輪」が巴里で封切された時だ。あゝいふ感激は二度繰返されるものでないことは知つてゐるが、その後チヤツプリンの「小僧」といふのを見て悦んだことがある。「面影」は非常に佳い場面と映画には無理だと思ふ場面とが頭に残つてゐる。
「最後の人」は映画の技術と、ヤニングといふ名優型の役者に心を惹かれた。
「ヴアリエテ」はちつとも面白くなかつた。
「レ・ミゼラブル」はユゴオの通俗的半面のみを誇張した愚作であり、「タルチユフ」はモリエールを履き違へ、オート・コメデイイの精神を解しない醜悪な写真である。
 こんなものよりは、「チヤング」のやうな実写的のものの方が見てゐて退屈しない。但し、実写なら実写らしく、変な芝居気を抜いて、素直に紹介の役目だけを果して欲しい。裸の土人に、わざとらしい驚きの表情などさせるには及ばない。
「ビツグ・パレード」を観て、かういふ写真が、なぜもつと早く出なかつたか、それが不思議なくらゐだつた。最後の場面は亜米利加式で月並以下だが、所謂「戦線」の生活は巧に物語られてゐる。近来の見つけものである。
「プラアグの大学生」は何処までも「芸術と手術」(?)張りで、あのフアイトとかいふ役者の夢遊病者的演技も大方底が見えたやうである。いや、それよりも、あの魔術使ひ見たいな金貨を、さも深刻らしく使つたところなど、独逸流の悪趣味に相違ないが、これがまた活動写真式とでも云ふのであらうか。
 一体、独逸の映画は、芝居がさうである如く、監督の意志が隅々まで行き渡り、あらゆる効果が精密に計算され、観客…

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