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演劇より文学を排除すべきか
えんげきよりぶんがくをはいじょすべきか |
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作品ID | 44577 |
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著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「岸田國士全集21」 岩波書店 1990(平成2)年7月9日 |
初出 | 「悲劇喜劇 第八号」1929(昭和4)年5月1日号 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2007-12-10 / 2016-05-12 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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かういふ標題で、最近のヌウヴェル・リテレエルは、リュシアン・デカアヴの興味ある調査を掲げてゐる。別に結論らしい結論もないから、面白い「事実」だけを拾つてみる。
モオリス・バレスは一八八四年、「墨痕」といふ文芸雑誌を出したが、その創刊号に次の如き宣言を書いた。
「この雑誌は文芸雑誌であるから、滅多に演劇に関する記事は載せないつもりだ」
十年後、彼は、「議会の一日」といふ一幕物を書いてアントワアヌの自由劇場に持ち込んだ。ところで、この戯曲を単行本にして出す時、その序文で、彼は、再び戯曲に筆を染めるかどうかわからぬと告白し、ヴィニイが「舞台の芸術くらゐ狭い芸術はない。しかもあらゆる拘束を受けなければならぬ」と云つた言葉を引いて、それとなく芝居は苦手だといふ顔をして見せた。
シャトオブリヤンには、「モイズ」といふ詩劇があるが、一度も上演されなかつた。
バルベエ・ドオルヴィリイは、芝居に縁のない作家の一人であるが、戯曲のことをかう書いてゐる。
「乞食芸術である。誰彼となく手を差し出す――劇場主に、背景画家に、衣裳係に、俳優に……。そして、何れの時代に於ても、大衆の頭と同じ水準に自分をおくことにのみ汲々としてゐる。それは、大衆に支へられて生き、大衆に向つて呼びかけるものだからである」。彼はなほ云ふ。「人類の総ての愚劣さのなかにあつて、劇文学のみは最も結構な愚劣さなのだらうか」
大作家と呼ばれる人々のうちで、芝居に手をつけない人は少い。ラマルチィヌ、ミシュレ、テエヌ、などは芝居に関係がないらしい。
アミアンの図書館に保管されてあるボオドレエルの遺稿の中から、韻文劇「イデオルス或はマノエル」の草案が発見された。これは、プラロンといふ無名の協力者と合作をする筈だつたらしい。
三年前に、エドガア・ポオの未完成のドラマが、出版された。モルガン図書館で発見されたものである。断片的な草稿であるが、ポオの劇作家的天分を知らしめるといふほどのものではない。
ルナンも一時芝居に食指を動かしたことがある。一八八六年、ヴィクトオル・ユゴオの誕生日に、「千八百〇二年」と題する対話劇をコメディイ・フランセエズで上演させてゐる。
これは、死者の対話であつて、死者とは即ち、コルネイユ、ラシイヌ、ボアロオ、ヴォルテエル、ディドロの面々である。
それからまた、「哲学劇」数篇を物してゐるが、ルナン自ら、「上演の意図毛頭これなし」と云つてゐるにも拘はらず、ラ・デュウゼが、そのうちの一篇「ジュアアルの尼院長」を伊太利で舞台にかけた。
アントワアヌも、自由劇場の上演目録中にこれを加へようと思つて、ルナンに許を乞ふた。ところが、ルナンの返事は「ユゴオの誕生日に一寸した思ひつきをやつてみたのだが、その経験によると、自分の書くやうな仏蘭西語は、どうも役者が覚えにくいらしいから」とい…