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きもの
きもの |
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作品ID | 4458 |
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著者 | 長谷川 時雨 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本の名随筆 別巻58 着物」 作品社 1995(平成7)年12月25日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 小林繁雄 |
公開 / 更新 | 2003-10-21 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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着ものをきかへようと、たたんであるのをひろげて、肩へかけながら、ふと、いつものことだが古への清少納言のいつたことを、身に感じて袖に手を通した。
それは、雨の降るそぼ寒い日に、しまつてあつた着るものを出してひつかけると、薄い汗の香が鼻をかすめると、その、あるかなきかの、自分の汗の匂ひの漂よひと、過ぎさる夏をなつかしむおもひを、わづかの筆に言い尽してあるのを、いみじき言ひかただと、いつでも夏の末になると思ひ出さないことはない。何か、生といふ強いものを、ほのかななかにはつきりと知り、嗅ぐのだつた。
きものにもさま/″\あるが、煎じつめれば、きものは皮膚の延長だとわたくしは思つてゐる。
裸身では居られないので、天然の美を被ふのに、その顔によく似合つた色の布を選らむのは当然なことで、すこしでも美しいのをといふ心持ちが、色彩に敏くなり、模やうや、かたちまでが種々に変化し、売手のつくる流行に支配されると、自分の皮膚とは、似てもにつかないものをつけることになつて、化粧を濃くしてごまかし、自分の本来のものを殺してまで衣服の柄の方に顔を合せようとする不自然さになつたりする。
そんなことを思つてゐるところへお客があつた。きものの話をきいて書くのだといはれる。
いろんな変転を経て来て、日本の着ものは、この風土と、この家屋とのなかに育つて、平和な時の家庭服としては、ゆくところまでいつた良さがあるといふやうな話をして、
「一人の人が考へたのではなく、長い月日の間に、みんなが、自分たちに具合よくしていつたのだから――」
と、言ひながら、
「日本の着物を裁つといふのは、反物を四ツ四ツと折つて、それを二ツに断りはなし、あとを竪に二ツにすれば出来る、老若男女、いづれもおなじ、こんなにはつきりしたものはない。」
と、昔の人の頭のよさを、また思ひ直した。
反物は、近頃こそ袖が長くなつたので、三丈とか、三丈三寸とか五寸もあるのがあるが、明治時代は二丈八尺がお定まり、木綿ものは七尺のもあつた。これは時代を遡つて、特別の織のほかは、寸尺の短いものであつたことを思はせる。
お針仕事が、津々浦々の、女たちにもわかりよいやうに、反物の幅は、およそ男の人の絎に一ぱいであることを目標とし、その布を、袖に四ツに畳んで折り、身ごろを長く四ツに折ればとれる。あまつたのを竪に二ツに割つて、襟とおくみとすれば出来る。縫ひ方も簡略で、みんな竪に縫ひ、袖の下を縫つて袋にすればよいので、単衣を合せれば袷、間に綿を入れれば綿入れとなつたのだ。
しかも、寸法も、男は何寸、女は何寸と定法があり、大概それで誰にも着られる。子供は、何歳までが四ツ身、その下が三ツ身、その下が赤児用の一ツ身で、四ツ身は何尺の裂地が入用、一匹の布(成人用の四反が一機で、二反つながつてゐるのが一匹)で四ツ身は三ツとれる、三ツ身は半反で出…