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![]() きしゅうじん |
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作品ID | 44596 |
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著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「岸田國士全集21」 岩波書店 1990(平成2)年7月9日 |
初出 | 「大阪朝日新聞」1932(昭和7)年1月16、17日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2007-12-21 / 2016-05-12 |
長さの目安 | 約 8 ページ(500字/頁で計算) |
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子供のころ、故郷といふ課題で作文を作つたことを覚えてゐる。しかし、どんなことをどんな風に書いたかは一字一句も覚えてゐない。恐らく、「故郷とは懐しいものであり、その山も川も、野も林も、父母の笑顔の如く、われらにとつて忘れ難きものである」といふやうなことを書いたのであらう。
私は今でも、よく人から「お国は?」と訊かれ、訊かれるたびに、なにか妙にこだはつた気持で、「両親は紀州の生れです」と答へることにしてゐるが、自分が紀州人であるといふことが、なぜか、事実に遠いやうな気がするのである。
これは無論、第一に、自分が東京で生れ、東京で育つたことに原因してゐると思ふ。七、八歳のころ、夏であつたか、父に連れられて、一週間ばかり和歌山市駕町といふところに祖父を見舞つたのを最初として、その後今日まで、たつた二度、それも一日か二日の滞在で、同じ町の母方の伯父を訪ねたのが、自分のこの土地に対する全交渉である。
しかし、世間にはかういふ種類の人間が随分多く、なかには生れてからまつたく、郷里の土を踏んだことのない人々も珍らしくないだらうが、さういふ連中が、やはりどこか、その風貌において、その気質において、一種の郷土的特色をもつてゐることに気づくと、私は、自分の場合においてのみ、それが例外であるとは信じられない。現に私の声を聞いて、紀州人の声だといつたものがあるくらゐだ。
遠い祖先のことは暫らく措き、現に私の祖父母並に両親はいづれも和歌山市の生れで、父は若年にしていはゆる学笈を負うて都に出た組であるから、ストリンドベリイ的懐疑思想を交へさへしなければ、私の血液は紛れもなく、紀州人のそれを受けついでゐると信じられるのである。
その上、もう物故した父の方は、それほどでもなかつたが、母の方は今日でもなほお国弁の頑固な保有者で、長く家庭にあつた私の弟妹どもは、知らず識らず、日常の言葉のはしばしにその影響を受けてゐるといふ有様だ。
一方、さういふ関係から、私は今日まで、比較的多くの紀州人に接してゐる。また、はじめて会つた人間でも、それが紀州人であるといふことがわかると、やはり、それだけで特殊の興味をもつやうに習慣が養はれてゐるのである。さうだとすると、これでもうやや紀州人たる資格を備へてゐることになるのだが、さて、最後の一点で、私は、恐らく、その資格の重要な部分を失つてゐるやうに思はれる。それは、つまり、私の眼が紀州人に向けられる時、あまりに隔たりをおきすぎるといふことである。
だがかういふ傾向は、決して昔からあつたのでなく、私が、文学をやり始め、殊に、作家生活にはひつてから著しく現はれて来たもので、翻つて考へると、文学の地方性といふ問題に触れる機会が、近来、ますます多くなつたからだらうと思ふ。
さういへば、日本の文壇では、各作家の個人研究があまり行はれず、自然、それぞれの作家…