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諸家の芸術価値理論の批判
しょかのげいじゅつかちりろんのひはん
作品ID4460
著者平林 初之輔
文字遣い新字旧仮名
底本 「平林初之輔文藝評論全集 上巻」 文泉堂書店
1975(昭和50)年5月1日
入力者田中亨吾
校正者松永正敏
公開 / 更新2004-07-20 / 2014-09-18
長さの目安約 42 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

         はしがき

 私が「新潮」三月号に発表した「政治的価値と芸術的価値」は、私の頭に疑問として残されてゐた一つの問題を、雑然と、無秩序に、しかも甚だ例証的に、従つて、非常に単純化された姿に於いて、そして何よりも率直に、表白して、私自身その問題に対する一つのサジエツシヨンを試みつゝ、大方の示教を乞ふために書かれたものであつた。
 多くの批評家と読者と先輩と友人とが、或は公けに、或は私に、この小論文に対して、多かれ少かれ各自の見解を吐露して、私に対して啓蒙、示教、駁撃、共鳴等の態度を表示されたことは私の非常に感謝するところであつた。
 私自身また、その後、この問題を多少系統的な形に於いて熟慮する余裕を得たのと、前記諸氏によつて、直接間接に教へられるところがあつたとのために、私の前の提言が如何にも粗雑であつたこと、そして全く妥当を欠いた引例などもあつたことに気がつくやうになつた。
 とは言へ、私の提出した問題の最も根本的な部分は、依然として未解決のまゝに残されてゐるし、問題自体が、前記諸氏の大部分の人々によつて、私の当初の目的とは全く別な方向へ展開せられ、いはゞ側線へ導かれて、一見簡単に片附けられてしまつたやうな観を呈した。私の批判者の大部分は、私の提出した問題を他へそらすためのポインツマンの役割を演じたに過ぎなかつた。
 これには勿論私自身の、あの小論文を起稿するに際しての甚だしき不用意、用語の不注意、引例の不妥当、論理の混迷、非系統的に問題を無暗にひろげてしまつたこと等が禍ひしてゐることは私の躊躇するところなく認めるところである。だが批判者たちが、先づ事実から出発することを忘れて、粗笨な公式で事実を無理矢理に規定してしまひ、かくて問題を問題として取り上げることを拒んだことも認めなければならぬと私は考へる。
 といふのは私の提出した問題が、私の意味する通りに理解された場合は殆んどなかつたからである。そしてこの問題の実践的重要性は遂に何人によつても発見されずに、かゝる問題は、既に一応片附いた問題であるとして通り過ぎようとされてゐるのである。
 この論文は、あの問題に対する批判者の批判を批判しつゝ、でき得べくんば、もつと系統的な姿に於いて、問題の所在を明かにする目的をもつて書かれるのである。私はせめて私の提出した問題の意味が正しく理解されることを希望するのみである。

         一 私はマルクス主義文学を如何に解したか又解するか?

 私は先づこの初歩的な問題から説明してゆく必要を感ずる。何故かといへば、私は前記の論文でマルクス主義文学について論じてみたに拘はらず、マルクス主義文学とは何かといふ問題を多くの批判者は私と同じやうには理解してゐないやうに思はれるからである。そしてこの出発点に於ける些かの見解の相違は、到達点に於ける千里の差となつてあ…

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