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私の従軍報告
わたしのじゅうぐんほうこく |
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作品ID | 44617 |
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著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「岸田國士全集24」 岩波書店 1991(平成3)年3月8日 |
初出 | 「東京朝日新聞」1938(昭和13)年11月12~16日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2009-12-18 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 14 ページ(500字/頁で計算) |
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戦線は無限に広いこと
武漢が落ち、広東が陥ち、わが軍の作戦区域が著るしく拡大されたことは云ふまでもないが、私の今度の中支従軍を通じて、現実にこれは大変だと感じたことは、普通第一線と呼ばれてゐる作戦軍の正面以外に、鉄道の沿線と揚子江流域の重要な都市を囲む殆ど中支一帯の地域に残敵の有力な部隊が蟠居して、わが占領地区を脅かしてゐることである。これらの敵は、勿論、種々雑多な素質と編成によるもので、必ずしも恐るゝには足らぬが、なかには相当の訓練と装備を有する正規軍も交つてゐることであるし、中央の指令もなかなかよく行き亙り、住民と腹を合せていざといふ決心さへつけば、わが警備の手薄に乗じ兼ねないのである。
この意味で、上海より武漢に亙る後方勤務の各部隊は、一地に駐屯するものと、絶えず移動するものとを問はず、ひとしく対敵行動の姿勢を瞬時も崩すことのできぬ特別な事情にある。
この度の事変は、政治的にもある例外的な宣言を必要とした。同時に、戦略的にも、戦術的にも、これを一般の前例に当てはめることはできない、まつたく、風変りな戦である。われわれは、日本軍の奇略縦横、疾風迅雷のファインプレイに拍手を送るものであるが、敵の執拗なゲリラ戦術とやらには業を煮やさざるを得ぬ。
私は、武漢攻略の華々しい肉薄戦にも増して、孤立無援の小警備隊が、前後左右に数倍の敵を控へ、日夜緊張し、秘策を練り、虚に乗じて進み、厳として与へられた地域を守る、目立たない苛烈な任務にひとしほ心惹かれたものである。
しかも、この警備隊は、事変の最後目的たる平和建設の困難な工作に直接参与すべき使命をもつてゐるのである。少くとも、かの匪賊化した抗日分子と、営々、安居楽業を欲する「良民」とを截然と区別して、日本の理想を大陸に行はんとする基礎を示さなければならぬ重大な役割を負ふてゐるのである。
私は、なによりもそのへんのところをよく観ておかねばならぬと気づき、いろいろ研究の結果、先づ、江都県楊州の警備隊本部を訪れた。こゝで十日間、ぢつくりと腰をおろして、警備、討伐、宣撫、その他あらゆる方面で、現に、日本軍が何をなしつゝあり、支那民衆が何を求めつゝあるかといふ点を観察した。
丁度私の着いた翌日、やゝ大規模な討伐が行はれ、小川隊長の計らひで、私も、本部の一員に加はつた。当面の敵は、楊州北東数キロの陣地に拠る正規軍で、兵力はもちろんわれに数倍するものであつた。この戦闘の情況はこゝでは略すが、楊州地域を窺ふ敵は、この外、西北に陳文の率ゐる雑軍、西に例の大刀会匪なる私兵があつて、これらを合すればその兵力は優に数万と称せられてゐる。
楊州の地区本部を中心としてそれぞれ更に小守備隊が前方に出てゐる。若い小隊長の率ゐる数十名の一隊が、敵の迫撃砲を浴びながら、一寒村に起臥してゐる有様を想像してみるといゝ。住民の向背は…