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従軍五十日
じゅうぐんごじゅうにち
作品ID44618
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集24」 岩波書店
1991(平成3)年3月8日
初出「文芸春秋 第十六巻第二十一号」1938(昭和13)年12月1日、「文芸春秋 第十七巻第一号」1939(昭和14)年1月1日、「文芸春秋 第十七巻第三号」1939(昭和14)年2月1日、「文芸春秋 第十七巻第五号」1939(昭和14)年3月1日、「文芸春秋 第十七巻第七号」1939(昭和14)年4月1日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-02-22 / 2014-09-21
長さの目安約 157 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

      前記

 この記録は昨年九月から十月にかけて、いはゆる「従軍作家」の一人として中支戦線のところどころを視察した結果、生れたものであるが、もともとこの種のノートを発表することによつてわれわれの任が果されたとは毛頭考へてゐない。
 しかし、自分の僅かばかりの見聞のなかゝら、国民全体に是非知つてもらはねばならぬと思ふことは、今日許される範囲でとりあへずそれを伝へる義務があると信じたので、いくぶん個人的な見方にすぎないことをもはつきりさせるつもりで、随筆風の印象記を綴つたわけである。
「従軍」といふ言葉を使ふことは、少くとも私一個の行動にはふさはしくなく、可なり躊躇されたのであるが、一旦さういふ名称が与へられた以上、特に異を樹てるにも及ぶまいと思ひ、わざとこれを踏襲した。
 何れにしても、私は私の性能に応じて、この機会を善用するほかはない。そこで一昨年の秋、北支に渡つた時と同様、戦争のいろいろな場面に於て、今度の事変の全貌をなるだけ正確につかむことに努力し、予想し得る将来の問題について、自分の判断の基礎となるべき資料を手の届く限り蒐めるやう心掛けた。その収穫が、今後、私の創作のうへにどう影響し、作用するかといふことは、現在のところ自分にもまだよくわからない。
 従つて、この報告は、極めて単純明瞭な思想と、やゝ性急な意図とをもつて、ジャアナリズムの要求に応へたことにもなるのであつて、最初の「従軍五十日」は、文芸春秋に、最後の「私の従軍報告」は、東京朝日新聞に、前後してそれぞれ発表したものである。後者は前者の概説に過ぎないし、大部分重複のきらひはあるけれども、文章の形式がやゝ違ふと思ふので、併せてこの一巻に収めることにした。
 この機会に、更めて内閣情報部と陸軍当局の配慮、並に、戦線各地区に於て望外の指導と便宜を与へられた諸官の好意に対し、深く感謝の意を表したい。
  昭和十四年四月
著者
[#改ページ]

     上海から蘇州まで

 上海から杭州へ、それから蘇州、南京と、軍報道部の馬淵中佐が案内をされ、南京から九江、更に、そこを中心として星子、武穴、馬頭鎮等の前線に近い方面の誘導に、同じ報道部の松岡中尉が当たられた。
 この間、宿泊、交通、見学のプログラム、すべて向ふ委せで、われわれは殆んど客分の待遇を受け、重要な個所を見落さなかつた代り、個人的な印象を細かにノートする暇もなく、云はゞ、中支戦場の一般概念の注入に頭を費した期間であつた。
 漢口攻略戦のクライマックスとも云ふべき時機であつたから、第一線部隊に従つて、壮烈な対敵行動の場面を親しく見たい欲望は、すべての同僚の気持を急きたてゝゐたことは事実である。既に、そのつもりで、早くから単独先行したものもあるくらゐであつた。
 私も亦、毎日地図を案じ、各地区に於ける戦況を綜合して、どの部隊につけば、比較的…

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