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事変第三年を迎へて
じへんだいさんねんをむかえて |
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作品ID | 44619 |
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著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「岸田國士全集24」 岩波書店 1991(平成3)年3月8日 |
初出 | 「東京朝日新聞」1939(昭和14)年1月1日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2007-07-17 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 3 ページ(500字/頁で計算) |
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感想をもとめられて、今、私は改めて云ふこともないが、国民の一人として、今年こそは東亜の天地に黎明がおとづれることを祈るものである。
もちろん、戦さの長びくのは止むを得ない。しかし、戦さが続いてゐる間、国民全体がたゞ政府の一挙手一投足にのみ眼を注いでゐるといふ状態ではまだ物足りぬと思ふ。さあ今度はかうしろと指図を受け、それがどんな犠牲であらうとも、国民の一人一人が、甘んじてこれに従ふことも刻下の急務であるけれども、それ以上に、おの/\の職分と資質に応じて、今や何をなすべきかを的確に知り、これに向つて一路邁進し得る状勢が到来することは、国民の何人も望んでやまないところであらう。
事変勃発以来、所謂「国民精神」の総動員は十分に、しかも殆んど自発的に完了し得た結果、われわれの対敵行動に応ずる戦時の姿勢はゆるぎなきものとなつてゐるやうに思ふ。たゞ、これまでの経過を見ても、日本軍は大いにその真価を発揮し、天下無敵の実力を示すには示したが、一方、支那も相当に頑張り、長期抗戦の夢は今にも破れさうにみえて案外さうでもない不思議な根強さをもつてゐることがわかつた。
わが国民はこの事実の前に新な認識をもつて起ち上らねばならぬ。当分、片手に武器を放すわけに行かぬと同時に、もう一方の手を自在に働かすことが必要である。「長期建設」といふ言葉は、それによつてはじめて意義を生ずるのである。私は、この国家的大事業を遂行するために、もう標語の製作や歌の合唱は不必要だと思ふ。国民の精神的能力が、直にその目的のために動員せられ、ひとつの組織を通じてそれぞれの活動を開始すべき時期なのである。
恐らく現在、国内にあつて祖国の運命に想ひをひそめつゝある知識人の悉くは、如何にして自己の才能と技術と、殊にその文化的感覚とを時局の発展に沿つて役立たせるかといふ一点で、もはやその身構へだけはできてゐるのである。部署が与へられ、「出発」の命令が与へられゝばいゝのである。
過去一年半の朝夕、国民は、大陸の野に山にじりじりと押し進められるわが武力の輝かしい足跡を追ひつゞけたのである。それは、しかし、悲壮な勝利に酔ふといふやうなものではなかつた。いろいろな教訓をさへ得たのである。その意味において、われわれの軍隊の進撃は、新しい世紀を導く象徴的なひとつの姿であつたと云つていゝ。
来るべき年こそは、国民を挙げての、所謂「建設」への大行軍が始まるであらうことを、私は期待するものである。(「東京朝日新聞」昭和十四年一月一日)