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或る風潮について
あるふうちょうについて
作品ID44621
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集24」 岩波書店
1991(平成3)年3月8日
初出「知性 第二巻第二号」1939(昭和14)年2月1日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2009-12-18 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 日本人が日本人に向つて日本のことを褒めて話すといふ風潮が近頃目立つやうであるが、これは現在の日本に於いてはたしかにその必要があるからだと思ふけれども、そこにちよつと微妙な呼吸があつて、それほど変でないものと、妙にくすぐつたい、もうやめてくれと云ひたくなるやうなものとがある。日本人でありながら、頭から日本を馬鹿にしてゐたやうな人々に対して、一言警告を与へることはもちろん賛成だ。さうでなくても、日本人は、殊に、日本の知識層は、最近いくぶん日本人であることの自信を失ひかけてゐたことは事実で、その点、もつと楽観的であつてもいゝ理由を強調するものがあつていゝわけである。
 殊にいま日本は重大な乗るか反るかといふやうな国家的難関に遭遇してをり、これを乗り切るための国民の覚悟と努力が要求されてゐる矢先であつてみれば、お互に、しつかりしろ、お前は日本人だ、こゝでお前の真の力を発揮しなければならんぞ、と必死になつて励まし合ふといふところにまで来てゐるのかも知れぬ。それならそれでよろしい。が、さういふ単純な掛声ばかりではなささうである。
 日本再認識とか、日本主義運動とか日本文化新研究とかいふ気勢の底には、それを明らかに標榜してゐるものもあるが、西欧思想の近代生活面における支配的位置を不当なものとして、少くとも日本を中心とする東亜民族の上に、わが伝統的文化の君臨を翹望する大野心がひそんでゐるやうに思はれる。これ亦決して不都合なことではない。では、なにが、どういふ場合に、われわれの神経にさわるのであらう。日本人が日本人に向つて日本のことを褒めて話すといふ、元来極めてデリケートなことがらを、それと気づかずに話す、その話し方ひとつにあるのである。
 せんだつて、ある人がラヂオで、日本人の体格が美の標準から云つて西洋人のそれより優れてゐるといふことを論断してゐるのを偶然聴いた。それはつまり、日本人の生活様式がより自然の理法に適つてゐ、例へば穀物を主食物とし、膝を折つて坐るといふやうなことが、筋肉の布置を最も円満にし、関節の機能を十分に発達させ、西洋人にはみられない安定な均整美を作り出してゐるうへに、戦争に強い原因ともなつてゐるといふことを熱心に説いたものであつた。
 これはわれわれにとつてまつたく耳よりな話で、私の家の娘などは、全然椅子生活にさせるのは将来不便であらうといふので、近頃は畳の上で坐つて本など読んでゐるのをこはごは黙認してゐるやうな次第であつたから、膝が多少曲つてゐる方が見た眼にも美しいといふことになれば、こんな楽なことはないと、その瞬間はほつとした気分になつた。しかし、よく考へてみると、その人の新発見――ではないかも知れぬが、少くとも、新学説は、やゝ腑に落ちぬところがあり、一般の定説がそれで覆らぬ限り、自分の娘の脚を人並はづれて不恰好なものにしておくことは聊か躊躇されな…

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