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演劇統制の重点
えんげきとうせいのじゅうてん
作品ID44626
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集24」 岩波書店
1991(平成3)年3月8日
初出「東京朝日新聞」1939(昭和14)年4月17~19日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2009-12-23 / 2014-09-21
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     国家の権威と責任で当れ

 世界を通じて、演劇は今や膠着状態にあるやうである。歴史的にみてさういふ時代が過去にもむろんあつたが、この状態は当分続きさうな気がする。
 なぜこんな風になつたか、その原因をひと口に云ふのはむつかしいけれども、つまりは現在が芸術の開花に適しない社会的情勢にあることをまづ考へなければなるまい。そのうへ、演劇は特に近代企業として様々な矛盾する面を含んでゐて、その点、映画の生産と普及に押され勝ちであり、且、純粋芸術としての発展進化のうへでは、一定文化水準の観客層がこれを支持すべき物質的精神的の余裕をもつといふことが最大要件なのである。
 これはわが国についてのみ云つてゐるのではないことをもう一度明かにしておいて、さて、欧米に於ては、この危機が如何に当面の問題として処理されてゐるかはその国々によつて異るやうである。私は、自分の国のことについて識者の注意を促したいと思ふ。
 古典劇としての歌舞伎は例外として、現代劇、即ち、現代日本人が現代の思想と感覚とをもつてする舞台表現なるものをまだ完全に育てあげてゐない今日、早くも演劇の不振時代が来たといふことは、まことに由々しいことである。一部の演劇関係者は、私のこの言葉に不審を抱くであらう。なぜなら、劇場は到るところ満員に近く、殊に新劇の如きでさへいづれも予想外に客足がつきだしたといふ現象を極めて楽観的にみてゐるからである。
 私は逆に、この現象のなかに、演劇の停頓乃至退化を指摘することができる。が、この議論はしばらく預るとして、私の若干の経験は、今こそ、日本演劇の整理と改革の好機だといふことを教へる。演劇当事者の間でその動きがなくはない。
 しかし、これまた私の観察によれば、わが国の風潮の悲しむべき一面であるが、これをいつまでも民間の努力にのみ委ねておくことは、百年河清を待つにひとしいことを先に私は宣言せざるを得ぬのである。
 戦時の要求に応ずる文化部門の身構へといふ意味とは別個に、また、政治理論の芸術的扮装などと混合しない範囲で、国家は速かに演劇統制に乗り出してほしい。最近新聞の報ずるところによれば、そのプログラムも一応できあがつてゐるやうである。われわれはその内容について直接当局からはなにも聞いてゐないけれど、各項目をざつとみたところでは、別に驚くやうなことはひとつもない。
 たゞ最後に自分の眼を疑ひたいほど会心な一項目が掲げられてゐるので、それだけでも、政府の意図するところを私は汲むことができた。その項目といふのは、国立演劇研究所の創設である。
 かねて私は機会ある毎に、かゝる国家的施設の必要を叫んでゐたのである。わが国の演劇界の現状は、誰がなんといはうと、正しい意味でのアカデミズムの欠如が唯一の弱点であつた。技術の訓練も、人材の吸引も、品位の向上も、理論はとにかく、実際問題として、…

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