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一国民としての希望
いちこくみんとしてのきぼう |
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作品ID | 44650 |
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著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「岸田國士全集24」 岩波書店 1991(平成3)年3月8日 |
初出 | 「改造 第二十二巻第十六号」1940(昭和15)年9月1日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2010-02-22 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 31 ページ(500字/頁で計算) |
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一
国民の一人一人が今日ほど政治といふものに関心をもつてゐる時代は未だ嘗てないだらうと思ふ。それはもう、被治者としての消極的な関心ではない。国民のすべては、自分たちのなかゝらこの祖国を立派に護り育てる有能な政治家が出ることを痛切に望んでゐるのである。
しかし、何処にどういふ人物がゐるかといふことを国民の大部が知らずにゐたといふのは甚だ迂闊な次第であつた。私もご多分に漏れぬ組であるが、日頃、政治や政治家に興味をもたなかつた酬ひがこゝに現れたのであつて、今更致し方がない。新聞雑誌を通じての俄か仕込みの知識がどれほどあてになるか。新しい内閣ができると、新大臣は例外なく評判がいゝ。それがしばらくたつと、平々凡々といふことになる。しまひには、なぜそんな人物が国政の重任を負つたのか、国民は不思議に思ふのが常である。
もちろん、一国の政治は大臣のみの自由になるわけではないから、大臣になつてどれだけのことができるかは別問題としておくが、今日のやうな時局に、国民は所謂挙国内閣の顔ぶれに期待するところは非常に大きいのである。
殊に、この度の近衛内閣は、新体制といふものゝ樹立がこれと結びついて、国民に固唾を呑ませてゐる。近衛公の人望は、幸ひにして、この異常な空気をさほど暗くないものとすることに成功してゐる。少くとも、日本の現状を憂ふるものにとつて、すべての改革は一応、希望の光りにてらされてゐると云つてよい。
私は国民の一人として、この内閣を全幅的に信用しようと思ふ。
安井内相の談話として、「正しいことを行ふのに張合のある制度を作る」といふ意味のことが新聞に発表されてゐたが、これも私は気に入つた。これは月並な宣言ではない。なかなかよく考へられた言葉である。今日かういふことを云ひ得るだけでも政治家として尊敬に値する。ほんたうにそれができれば、国民はどんなに感謝するかわからない。
橋田文相は、科学振興について意見を述べてゐた。あれだけの内容なら別に新しい着眼でもないと思はれるが、橋田氏の思想の根柢はもつと深いものであらう。たゞ、私がこゝで一言この問題に触れたいと思ふのは、近頃科学科学と方々でやかましく云ひだした、その動機が如何にも浅薄で外聞がわるい。云ふまでもなく、独逸軍の優勢を、科学の勝利とみることによるのであらうけれども、それはフランスの敗因が、芸術尊重の精神にありと考へるやうなものである。なるほど、独逸の科学兵器(この名称もをかしなものだが)は、英仏のそれよりも一歩進んでゐたことは事実として、また、赫々たる戦勝の主なる原因の一つをこれにおくのもよいとして、それは科学そのものが特に優れてゐたといふよりも寧ろ、「科学の軍事的利用」に於て、彼に一日の長があつたといふ方が正しいと思ふ。
周知の如く、科学的精神と戦闘的性能とは、本質的に別個のものとして考へな…