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既往文化と新文化
きおうぶんかとしんぶんか
作品ID44658
副題――某氏との談話――
――ぼうしとのだんわ――
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集25」 岩波書店
1991(平成3)年8月8日
初出「中央公論 第五十五年第十二号」1940(昭和15)年12月1日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-03-04 / 2014-09-21
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     通念の更新

 一体、国防国家といふものゝなかで、文化はどういふ取扱ひを受けるべきかといふ問題ですが……この点に関しては、実にいろいろの意見があるやうです。すなはち、文化問題に就いてはまだ考へ及んでゐない、これは後廻しだといふ説が出たり、或る場合には、今までとにかく出来上つてゐる文化自体を、こゝで利用すべきだと考へられたり、一方また既往の考へ方では文化の発展などは望まれず、全く、国防国家のために必要な文化だけをこれから作り上げるべきだといふ考へ方等々が今日ではごつたになつてをるわけです。こいつを僕等はもう一応はつきりと決めてかゝらなければいけないと思つてをります。
 政治に文化性を与へるといふことにしても、われわれが今日まで、かうあるべきものと考へてゐた文化と、方向を転ずべき今後の日本に於る文化との間には多少相違があるのではないかと思ひます。それを曖昧にして置いては、文化部門の仕事も一そう困難だ。例へば文化の擁護といふ立場になると、これはもうこゝでわれわれは討死の覚悟をしなければならん。そんな消極的な立場でなく、新しい文化の建設といふ方に、若し行き得るものとすれば、これは今までの文化の意識と、やゝ変つた文化を目指さなければならん。この新しい文化について、僕等は本当にもう一度、はつきりした意識をもつやうに、勉強しなければならない。いゝ加減な、今までの文化の概念に囚はれてをると、僕等は動きがとれなくなるのぢやないかと思ふのです。かういふ時代にこそ、どうしても国民は何か新しい文化が生れるんだといふ希望をもたなければ、いかに建設的な言説を繰り返しても、それは空論に終ると僕は思ふ。さういふ意味で、余程しっかりと腰を据ゑないと、却つて国民を誤ることになると、僕自身は考へてゐるのです。日本の一般知識層の考へてゐる文化の通念は、こゝで再批判の必要が僕はあると思ふ。
 一般的に云つて、かういふ考へ方もできると思ふ。つまりかういふ時代のかういふ政治情勢下に於て現に圧迫を受けてゐるのは、必ずしも文化の健全な面ではなく、寧ろわれわれも既にさういふものとは十分戦つて来てゐるやうなものが圧迫を受けてゐるといふことです。たゞその場合、一方の認識が足りないために、健全なものも少なからずその巻き添へを喰つてゐるといふことです。そこでこの不健全なものと健全なものとは完全に区別できるのだといふ希望が与へられなければ、どうもわれわれは仕事ができにくい。文化の全面に亘つて本当に圧迫を受けてゐるんだつたら、われわれは時代と戦ふより外はないわけです。それではかういふ時代に希望をもつといふことはとてもできない。若しさうであれば公然とそれを云ふべきだ。然るに不健全なものがあつて、それに繋つてをる健全な部分が巻き添へを喰つてゐるのであれば、常に希望を失はずに寧ろ今までの不健全なものを克服するための努…

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