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国防と文化
こくぼうとぶんか |
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作品ID | 44664 |
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著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「岸田國士全集25」 岩波書店 1991(平成3)年8月8日 |
初出 | 「文学界 第八巻第三号」1941(昭和16)年3月1日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2010-03-11 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 11 ページ(500字/頁で計算) |
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いよいよ事態が切迫して来たやうであります。それに対して国を挙げての準備は整つてゐるでありませうか。
議会でも、質問を中止して、直ちに予算の審議にはいりました。
国家総力戦の真のすがたが、国民一人一人の眼にはつきりわかる時が近づきつゝあります。
われわれはこゝで、国の力といふことを考へてみなければなりません。国の力、即ち国民の力であります。武力といひ、経済力といひ、外交の力といひ、すべてこれ、われわれ日本民族の現実の行為であり、その肉体と精神の火花であります。そして、それらすべてが、広い意味の文化をこゝに示すものであります。
先日、議場に於る陸海軍大臣の声明が新聞に出てをりましたが、それは誠に意を強くするに足る言葉でありました。
しかし、軍備はいかに充実しても、充実しすぎるといふことはありません。なぜなら、敵国は必ずその上に出ようとするからです。経済力はと申しますと、これまた御承知の通り、日本はそれほど恵まれてゐるとは云へません。では外交は? 然し、外交の終るところから戦ひがはじまるのであります。
それらに付し、高度国防国家体制の必要がとなへられ、いはゆる文化の部門がその一翼として動員されることになつた理由は、国の力が、まだ、そこにもあるといふことの証拠であります。
そこにもあるどころではありません。私の考へでは、これこそ、国民の底力であり、それによつて明日何かゞできるといふことであり、それが、未来へのたしかな希望となるのであります。
去年の十一月、皇紀二千六百年を記念するため、宮城前でとり行はれた国民的祝典は、参列者悉く感動に胸をつまらせたと聞きますが、これこそ、現代日本文化の華といふべき盛儀であつたと信じます。儀式の精神は、もちろん、秩序ある集団をもつてする敬虔な道徳的感情の昂揚にあるのでありまして、その点、まさに儀式として絶対無二のありがたさを示した一例でありました。かつ、近代の設計と古典の彩色とが、あの清々しい芝生の緑の上を流れる光景を私も謹んで想像することができます。不幸にして私は参列の光栄に浴することはできませんでしたが、偶々友人の一人からその感動を語り聞かされ、実に髣髴として千古の偉観を拝する思ひがいたしまして、思はず頭がさがり、口がきけなくなりました。
しかるに、それから後、またある人からかういふ話を聞かされました。あの祝典に参列した一外国人が、そばにゐた親しい友人に向つて訊ねたさうであります――「私はこんな立派な儀式を世界のどこでも見たことがない。ところで、こんな立派なことができる日本人が、なぜ平生はあんな風なことしかできないのだらう。実に不思議だ」と、かうであります。
「あんな風なこと」とはいつたい何を指すのか、私は突つこんで訊きはしませんでしたけれども、およそ見当はつきました。残念ながら、われわれの日常生活、即ち、われ…