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日本人のたしなみ
にほんじんのたしなみ |
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作品ID | 44670 |
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著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「岸田國士全集25」 岩波書店 1991(平成3)年8月8日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2010-03-15 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 13 ページ(500字/頁で計算) |
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「たしなみ」
「たしなみ」といふといかにもありふれた言葉ですが、これが今の日本人に忘れられてゐるやうです。大きな弱点です。これは文学でも経済でも政治でもさうですし、殊に生活の上ではさうです。
「たしなみ」といふことはわれわれが知つてゐなければならぬことを知つてゐることであり、また美しいものを美しいと見、正しいものを正しいと考へるのが「たしなみ」で、「優れたたしなみ」をもつ国民が高い文化をもつ国民といふことができると思ひます。言葉をかへれば高い科学性と倫理性と芸術性をもつ文化が優れた文化なのであつて、闇取引がどうだとか、やれ経済道徳がどうの交通道徳がどうのといふことでは駄目です。「たしなみ」といふものを訓練によつて与へなければならない。これが明治の終り頃から非常に忘れられて来たやうですが、当時西洋から盛んに新しいものがはひつて来て、青年の間に古いものに反抗しようといふ風潮が現れた。そして古い伝統のなかから本当によいものまで失つたやうに思はれます。「たしなみ」がなくなつたのだと思ひます。
親の躾けといふものに対して一番うるさく思つたのがわれわれの時代で、それからは親が我が子に対しても、だんだん何も云はなくなつたといふことが考へられます。
躾けといふことは非常に窮屈な、謂はば行儀作法をやかましくいふことだといふ風に思はれて来たので、躾けといふものに対して戦々兢々としてしまつて、それが青年の伸びる力を抑へつけ、それに堪へきれないといふことが青年を無軌道にしてしまつたのです。
子供には子供、青年には青年に適当だと思はれるものを、時代に応じて与へて行つたら理想的なのです。例へばわれわれの家庭の実状から云つて、若し仮りに貴族階級のやうな躾けをしたとすれば、子供はどうなるでせうか。必ずしも立派な「たしなみ」をもつた子供にはならないのです。勤労階級には勤労階級の「たしなみ」があり、また貴族階級には貴族階級の「たしなみ」があります。これを履きちがへてゐるものですから、若いサラリーマンの細君が、狭い台所で自分で洗濯をする生活のなかに、本当の「たしなみ」があることを忘れて、どうかすると「遊ばせ」言葉を使つたり、また逆に、どうせ自分はこんな生活なんだといふやうな気持で、「たしなみ」を忘れた言葉を殊さら使ふといふのが現状で、これではいけないのです。日本式とか西洋式とか二つのことにこだはらず、また旧式とかモダンとかいふ標準に囚れないで、ほんたうに力強い美しいものを生活のなかに取入れて行かねばならぬと思ひます。さうしないと国民の品位といふものは全くゼロだと思ひます。大陸に進出して行く日本人を見ましても、同胞の間に於てさへ、指導者をもつて任ずるのにはどうかといふ疑ひをもたせられるやうな人が、決して少くないと思ふのであります。
それではどうすればよいかと考へると、たいへん簡単…