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生活のうるほひ
せいかつのうるおい |
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作品ID | 44689 |
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著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「岸田國士全集25」 岩波書店 1991(平成3)年8月8日 |
初出 | 「放送 第二巻第五号」1942(昭和17)年5月1日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2010-04-10 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 9 ページ(500字/頁で計算) |
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趣味といふ言葉は非常に広く使はれてゐますが、一般には好きなことゝいふ程度に解釈され、読書、映画、スポーツ、釣、将棋などと雑多なものが一様に趣味といふ範囲に入れられてしまふわけでありますが、ほんたうをいふと、高い精神的な訓練を経て、初めてそれを趣味として身につけるやうな種類のものもあり、またほんのやり方を覚えさへすれば、一通り遊びとしての暇つぶしの出来るやうなものなど、色々あります。
生活のうるほひとしてのこれ等の趣味は、時と処とに応じ、その選択は全く自由でありますけれども、趣味といふよりも慰安娯楽といつた方が適当なものもあり、更にまたそれに興味をもつ程度によつては、むしろ趣味といふよりも道楽といつた方がいゝやうな、幾分弊害を伴ふ場合も生じてくるのであります。
趣味にしろ娯楽にしろ、元来自分の生活以外に求めるといふ考へ方は、間違つてゐると思ひます。たとへば音楽に趣味をもつてゐる人ならば、その人の生活は少くとも音楽によって浄化され、また音楽によつて明日の力を与へられるやうになつてゐなければならないと思ひます。茶の湯、生花を婦人の趣味として習ふ場合、それは決して、生活をかざるものとして、生活に何かをつけ加へようとして習ふのは、大きな間違ひだと思ひます。
茶の湯も生花も共に、日本人のすぐれた趣味が作り上げた最も純粋な生活芸術なのでありまして、その技術を身につけるといふことは、茶の湯なり生花なりの精神をもつて、日常生活の隅々を最も日本的に秩序立て、美化する一つの道なのであります。従つて、茶の湯や生花の稽古に通ふ若い女性が、非常に趣味の悪いけば/\しい服装をしてゐたり、人前でろくに話も出来ないやうなみだしなみを暴露するやうでは、全く何のための茶の湯生花だかわからないのであります。
運動競技の類も、一面趣味としてたのしむことが出来るのでありますが、また料理とか裁縫とかいふものも、たゞ家庭をもつに必要な技術としてだけでなく、趣味としてむかへば無限のたのしさが生じるやうに考へられます。またさういふ風に、たのしんで料理や裁縫に没頭してゐる婦人の生活には、他の者にはわからない味ひがあるのでありませう。
日常生活のたのしみは、普通、暇と金とさへあれば、わけなく得られるやうに考へてゐる者がありますが、これは大変な間違ひだと思ひます。ふだん、忙しく仕事に追はれてゐる者が、時たま休養の時間を得るといふことは、理窟なしにたのしいことに違ひありませんけれども、その休養の時間を最も有効に過すといふことは、決してその時間の長いと短いとに関係があるわけではなく、また使用し得る小遣ひの高には関係がありません。
要するに私の考へでは、その時間を誰と共に過すかといふことで決るのだと思ひます。いひかへれば、われ/\は同じ時間を愉快にすごすのも退屈してすごすのも、多くは一緒にゐる相手次第だとい…