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日本文化の特質
にほんぶんかのとくしつ |
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作品ID | 44708 |
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副題 | ――力としての文化 第二話 ――ちからとしてのぶんか だいにわ |
著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「岸田國士全集26」 岩波書店 1991(平成3)年10月8日 |
初出 | 「力としての文化――若き人々へ」河出書房、1943(昭和18)年6月20日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2010-06-14 / 2016-04-14 |
長さの目安 | 約 41 ページ(500字/頁で計算) |
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一
「文化」は国土と歴史との所産であります。言ひ換へれば、民族の血と運命とが創りあげる生存のすがたであります。民族とはこゝでは狭い意味の人種的差別を云々せず、精神的に結合した政治的統一体を指すこととし、やがては、国民の名に於て全く等質の文化圏に入るべき複合民族をも意味するものと考へたいのです。
ところで、日本の「文化」は、今日まで、いはゆる「大和民族」たるわれわれの祖先が、允文允武にまします歴代の天皇を御親とし奉り、世界を「家」となす遠大な理想をかゝげ、赤子たるの光栄と本分とを忠誠の臣節に籠めて、ひたすら国運の発展と「美しき」国風の充実に尽して来た、その結実なのであります。
時に暗雲が朝威を覆ひ、民心転た悄然たる時もありましたが、乱れゝば光り現れ、犯されゝば力湧き起る神の国の、昔も今も、皇運こそ天地とともに窮りなきを、われら固く信じてゐるのであります。
なによりも、日本の文化は、この揺ぎなき国体と歴聖相継がせ給ふ御遺訓の精神を中軸とし、大和民族独特の性情に根ざす天衣無縫の着想を、営々三千年に亘つて積み重ね、磨きあげた創作なのであります。
大陸文化の影響と云ひ、模倣と云ひ、その影響は消化であり、模倣は吸収であつた。文化が仮りに侵略の手を伸ばすものであるとしても、未だわが国は、現代に於ける一部表面的な現象を除いては、嘗て外来文化の侵略に委せたことはありません。
文化は高きより低きに流れるのが常とは云へ、文化の高さなるものは、これまでいろいろの標準によつて計られたのです。
一例を挙げれば、「技術文化」といふ言葉もあるとほり、技術、特に物を組織立て、合理化し、分析分化する技術の精粗、巧拙を以て文化の優劣を決しようとする見方があります。
法律の制定、交通網の整備、教育施設の充実、学問の系統立て、国防力の統一、生産手段の合理化などといふ方面にかけては、たしかに日本は遅れてゐたといふほかありません。しかし、一方から云へば、久しい間鎖国政策によつて、政治的にも、経済的にも、その必要がなかつたからとも云へるのでありまして、ひと度、それが国家の自衛及び発展上欠くべからざる要件だといふことになれば、たちまち、僅か数十年間に、それらの点にかけて優越を誇つてゐた国々と殆ど肩を並べるまでになつたのみならず、ある点では、遥かにこれを凌駕したのであります。
それはいつたいどういふわけかと云へば、いはゆる「文化」の標準を、もつと別なところにおいて、即ち、複雑な組織を作る代りになるべく単純な道筋で用を足し、合理化に努めるよりも寧ろ道義化に意を用ひ、分析分化に浮身を窶さずして綜合と直観の力によつて事を弁ずるといふ流儀が、測らずも、他の流儀の会得と利用を容易ならしめる底力となつたのであります。
してみれば、一方の流儀からみて低いと思はれた「文化」は、その実、思ひがけない別の流儀…