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横光君の印象
よこみつくんのいんしょう
作品ID44756
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集27」 岩波書店
1991(平成3)年12月9日
初出「文芸往来 第三巻第三号」1949(昭和24)年3月1日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-07-25 / 2014-09-21
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 さて、横光君の死後、いろいろなひとが、この稀有な才能と人物とについて書いてゐるのを読んだが、それぞれに私にも思ひあたるところがあつて、五十歳を生きた一作家の全貌は、なかなか複雑なものだと感じるほかなかつた。
 私は横光君とは平生さう近い関係ではなかつた。第一次文学界の同人に遅ればせながら加はつたこと、従つて当時、私もまた、ある人々によつて新感覚派の一味に数へられたこと、横光君が中野や阿佐ヶ谷へんに住つてゐたころ、私も阿佐ヶ谷とか天沼とかを転々としてゐて、わりによく道などで顔を合せたといふこと、菊池寛氏が新劇協会といふ劇団の世話をしてゐた頃、横光君もいくらか芝居に興味をもちはじめ、戯曲をいくつか書いたし、その劇団の公演には、彼のものが上演されたこともあるが、彼自身、私のすゝめで演出の後を引受けてみたりしたものである。菊池寛作「真似」の奇怪な効果は、彼の案出した扮装と照明法によるものであつた。
 私はあまり文壇のひとと深いつき合ひはしてゐないから、横光君などとは、わりに親しく口を利いた方かもしれぬ。同時代の、同じグループの作家といふやうな世間的な見方もできさうだけれども、なにしろ、私と彼とは、だいたい小説と戯曲といふ違つた道を歩いた仲間で、そのうへ、経歴から云つても、年齢から云つても、向うからはむしろ縁遠い存在ではなかつたかと思ふ。
 それにも拘はらず、私は、横光君といふひとに、いつもなんとなく心が惹かれ、評判になつた作品は時に読まなくても、彼の風貌に接することだけは、私には常に楽しいことであつた。
 彼の人間的魅力は、彼が作家であるといふ前提なしには味ひにくいものであらうと思ふが、ともかく、類の少い確乎とした性格のうへに、どことなく水々しい気質をのぞかせ、厳しい一面と脆い一面との心憎い調和がもうひと息といふところまで行つてゐた。
 私は彼をみるたびに、その風貌の発散するにほひのなかに、なぜか、年少にして上位に昇つた力士のそれを連想させるものがあることに気づいてゐた。精神と肉体との差を超えて、その何れにも通じる一種の力量感、緊張感、つゝましい優越感のかもし出す沈痛で鷹揚な表情は、どちらかと云へば古風な東洋的男性美の一典型であつて、横光君は無意識のうちに知的な土俵入を目指して若き日の夢を育てゝゐたと云へば云へよう。
 さういふ眼でみるせゐか、横光利一の名は、雑誌などの宣伝目次では絶えず、番附の横綱三役然たる趣きで活字になり、人々はまた、彼の作品と放言とを、息をこらしながら、読み、聴き、そして喝采し、ある者は首をひねつた。
 私はかねがね、横光君の非凡な感受性と、素朴な好奇心とに作家としての将来を期待し、また、友人の一人として、折にふれ見せてくれる「男の優しさ」に苦もなく参つてゐたので、世の横光党に対しては十分の同感を惜まなかつた。彼にはしかし、大きな敵があつた。…

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