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劇文学は何処へ行くか
げきぶんがくはどこへいくか
作品ID44759
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集27」 岩波書店
1991(平成3)年12月9日
初出「文学界」1949(昭和24)年7月1日
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-07-21 / 2014-09-21
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 私が戯曲を書きだしてからもう二十五年になる。四半世紀たつたといふわけである。その間に、いろいろな事情でしばらく戯曲の創作から遠ざかつてゐたこともあるが、やはりそれは自分の文学的故郷のやうなものであるから、折にふれて、いつかはまたそこへ帰りたいといふ願望がしきりに私を襲つた。
 戦争もすみ、新劇団も活溌に動きだし、昔から関係の深かつた俳優諸君の健在を眼のあたり舞台で知る機会もでき、私は久々で戯曲を書いてみる感興をおぼえたのである。
 しかし、妙なもので、いざ書かうとすると、なんとなく勝手が違ひ、機械なら歯車がうまく噛み合はないやうなもどかしさを感じてすこしギヨツとした。
 さて、自分でまた戯曲を書くだんになると、新旧内外の戯曲にも以前のやうな親しみを覚えてくる。勉強のためにも、努めて、さういふものに眼を通さうとするのであるが、今、私が一番気になることは、この二十五年間に、世界の、特にわが国の劇文学がどういふ方向に、そして、どの程度に進んだかといふことである。
 進んだ、といふのは、進歩の意味よりも、むしろ進化の意味であることはもちろんである。フランスで云へば、私はパニヨオル、ジロドウウぐらゐまでしか読んでゐないし、日本の新作家では、さあ、誰といつたらいゝか、まづ戦争直前ぐらゐまでに目立つた作品を公にした人々を最後として、それ以後の新人の名はほとんど知らないといつてよかつたのである。
 蔵書を焼いてしまひ、そのうへ田舎住ひをしてゐるので、新知識の獲得には甚だ不便であるが、あれこれと手に入る材料を漁つてみて、やつと、大戦後におけるアメリカやフランスの演劇界消息をおぼろげに知ることができた。菅原卓、川口一郎、加藤道夫三君のアメリカ劇紹介、佐藤朔、鈴木力衛両君編輯の「現代フランス演劇」第一、第二輯は、ともに大きな参考になつた。
 が、それはそれとして、私は、一方、最近の雑誌を注意しながら、日本の劇作家がどういふ道を歩いてゐるかを、極めておほざつぱにではあるが、推測することができたのは大へんうれしかつた。なぜなら、これでわが劇文学の進路が、今日までのところ、非常にはつきりしたといへるからである。



 私は過去二十五年間を顧みて、まことに感慨無量だといふのは、わが国に、それ以来ほとんど一人も雑誌ヂヤアナリズムをはなれて戯曲作家らしい戯曲作家が生れてゐないといふことである。その理由はすこぶる簡単で、文学作品としての戯曲はすべての劇場に受け容れられず、たまたまこれを上演する劇団があつても、作家の生活はそれによつて支へられる希望がまつたくないといふことである。
 世界のいづれの国でも、劇作家は劇場のために作品を書くのが原則で、その上演はもちろんつねに保証されてゐるわけではないが、少くとも、上演の可能性が作家を鼓舞激励して創作活動に向はせる仕組みになつてゐる。そして…

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