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村で一番の栗の木(五場)
むらでいちばんのくりのき(ごば) |
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作品ID | 44778 |
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著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「岸田國士全集2」 岩波書店 1990(平成2)年2月8日 |
初出 | 「女性 第十巻第五号」1926(大正15)年11月1日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2012-02-25 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 46 ページ(500字/頁で計算) |
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亮太郎
あや子
その他無言の人物数人
[#改ページ]
第一場
山間の小駅――待合室
真夏の払暁。
発車の直後といふ気配。
二三の旅客に交つて、都会のものらしい夫婦連れが、改札口の方から現れる。一隅を選んでそこに手荷物を置き、汗を拭ひ、左右を顧み、やがて、女が先に、男がそれに続いて腰を下ろす。
他の旅客は、待合室を通り過ぎるだけである。
男は出来合ひらしい白の洋服、女は現代風のかなり整つた身じまひ。――手荷物は、服装の割に野暮な信玄袋と行李鞄、それに、中型のシューツケース。
亮太郎 疲れたらう。
あや子 やつぱり眠れなかつたわ。どつかに顔洗ふところないか知ら……。
亮太郎 朝飯を食へば、前の宿屋で洗へるけれど……まだ早すぎるだらう。それとも軽便を一つ待つて、六時のに乗つたつていいや。
あや子 六時のだと、何時に着くの。
亮太郎 七、八、九、まあ、九時だね。
あや子 それでもいいわね。折角買つたお弁当が無駄になるけど……。
亮太郎 お土産にちやうどいいよ。
あや子 お弁当のお土産つて、あるか知ら……。(間)あたし、さうする。
亮太郎 待てよ、ちよつと、見て来よう、もう起きてるかどうか(出て行く)
あや子 (待つてゐる間、信玄袋の上に両腕を托し、それに額を当ててゐる)
亮太郎 (首を振りながら入つて来る)駄目。駄目だ。あと一時間かかるつて……。それぢや六時のに間に合はない。
あや子 その次は何時?
亮太郎 (時間表を見ながら)六時の次が、七時三十分……その次が九時三十分……。
あや子 ぢやいいわ。まだおなかはすいてないし、それに、顔なんかどうだつていいんでせう。見る人なんかゐやしないわね。
亮太郎 見る人はゐるよ。みんな見るよ。それこそ、通る奴通る奴、みんな振り返つて見るよ。君のやうな女は、開闢以来、あの村に現れた例しはないんだから……。
あや子 いやな方……。でも、お化粧なんか気をつけて見る人はないでせう。これでいいのよ。
亮太郎 でも気持がわるかないかい。
あや子 いいの、面倒臭いわ。
亮太郎 そんならいいさ。軽便一時間半、馬車一時間、谷を下り、坂を上ること二十分、橋を渡ること二度、梯子段十七段、門から玄関までざつと十間、廊下二十歩、それでやつと座敷へ通ると、おやぢとお袋の口上が短く見積つて滔々十五分、着物を着替へて風呂へはひり、昨夜は寝てないからと言つて一休みするまで、なかなか暇がかかるぜ。
あや子 いくらなんだつて、着く早々寝られやしないわ。お母さんは優しい方?
亮太郎 だから不断さう言つてるぢやないか――お袋は、僕の言ふことならなんでも聴く。恐らくお嫁さんにも同様だらう。うちには女の子がゐないから、きつと珍しがるよ。甘えてやり給へ。
あや子 甘えられるお母さんだといいわね。(間)ねむいのよ、あたし………