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新年狂想曲
しんねんきょうそうきょく |
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作品ID | 44795 |
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著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「岸田國士全集3」 岩波書店 1990(平成2)年5月8日 |
初出 | 「時事新報」1928(昭和3)年1月8日、9日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2011-05-06 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
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登場人物
緑衣の男
紫衣の女
白衣の少年
黒衣の老人
舞台
闇黒――やがて、遠景に弧形の地平線が現れ、その上部は次第に白光を放ち、幕の閉ぢる前には、舞台全体が暁の色に包まれる。
中央に緑衣の男と、紫衣の女とが並んで坐つてゐる。
その右に白衣の少年が寝ころび、左に、黒衣の老人が立つてゐる。
緑衣の男 (独言のやうに)今年ほど運り合せの悪い年はなかつた。一月早々自動電話の中へ紙入れを忘れ、二月には魚の骨を咽喉に立て、三月は三月で、事もあらうに、脅喝罪の嫌疑で警察へ引つ張られ、四月花の盛りには、三年越しの恋人に心変りをされ、五月には、なんのことはない、職務怠慢の科で会社をお払ひ箱……。六月になると、食ふや食はずの日が一週間も続いて……。
紫衣の女 (負けぬ気で)七月にたつた一人の娘をなくして以来、八月には泥棒にはひられ、浴衣と腰巻の外おほかた箪笥は空になり、九月にはひり、やつと暑さを忘れかけた頃、鉄瓶を落して此の通り右足に大やけど……十月は小包の中へ手紙を入れて罰金を取られ、十一月には、町内へ知れ渡るほどの夫婦喧嘩をやり、揚句が、十二月だと云ふのに亭主は家へ寄りつかず……。
黒衣の老人 (苦労人らしく)まあ、さう愚痴をこぼしなさんな。わしは、なにも、お前さんたちに、災難ばかり授けたわけぢやない。想ひ出して見るがいゝ。――若い衆、お前さんは悪くすると監獄行だつたんだぜ、まんざら覚えがないわけぢやあるまい。あゝやつて、うまく云ひ開きが出来たのも、相手がよかつたからだ。――それから、お前さんもさうだ。おい、ねえさん。なるほど、子供をなくしたのは悲しからうが、すぐまたあとが出来たぢやないか。いやさ、できてるといふことさ、その子の顔を一目見たら、おやぢも心を入れ替へるだらう。
紫衣の女 (取り乱して)此の子が生れるのは来年の三月だから、それまでは、どうしたらいゝんです。
緑衣の男 (捨鉢な調子で)監獄へでもはひつてゐれば、ひもじいことだけでも助かつてゐる。
黒衣の老人 (それ以上取合はず)わしはもう、役目を果して、あとのことは、万事、そこに寝てゐる小僧に頼んである。お前さんたちの云ふことを、一々取りあげてゐたらきりがない。たまには一人ぐらゐ、せめて「御苦労様」とでも、云つてくれる人間があつてもよさゝうなものだのに、これはまたなんといふ世智辛い世の中ぢや。同じ過ぎ去つたことでも、三年、五年、十年、二十年と経つてゐれば、「思ひ出」とやら云ふお菓子になるさうな。
紫衣の女 (甘へるやうに)ねえ、お爺さん、お菓子なんかあたしはどうでもいゝから、来年こそ、なんとか一つ運が向くやうにして下さいな。
緑衣の男 (調子を合せ)此の小僧にどんな力があるか知らないが、なんだか、お爺さんほど頼みにならないやうな気がしますよ。
黒衣の老人 (しんみり)今から考へると、…