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外遊熱
がいゆうねつ
作品ID44828
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集28」 岩波書店
1992(平成4)年6月17日
初出「世界 第六十四号」1951(昭和26)年4月1日
入力者門田裕志
校正者Juki
公開 / 更新2011-11-15 / 2014-09-16
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 外国へ行つて勉強したいといふ青年が、近頃非常に多い。ちよつと流行心理のやうな一面もなくはないが、しかし、それ以上に、なにか止み難い要求が必然的に湧きあがつてゐるやうにみえる。
 曾つての時代にも、いはゆる洋行熱と称せられたもの、猫も杓子も西洋を廻つて来さへすれば、いつぱし大きな顔ができさうに思はれた風潮があつた。それと比べて、今日の外遊熱は、いくぶん、性質のちがつたもので、ことに私の周囲にみられる熱烈な外国行きの願望は、たしかに、それによつて、若い人たちが真に生きる道を見出さうとする唯一無二の手段とさへ思はれるものが多い。
 ところが、現在は、いろいろな事情で、その希望を実現させることが最も困難な時代である。出国手続の問題がその一つ、経済的な問題がその一つである。
 しかし、手続の問題は、講和条約が締結され、国際関係が正常な形に復せば、これはさう面倒なことはないと思ふし、経済的な問題は、これこそ程度によりけりで、いつの時代でも、普通の外国旅行はなかなか金のかゝるものである。従来でも、金の心配をせずに海を渡るなどといふことは、官公費留学か、家に財産があるか、特志家のパトロンでもついてゐなければ、容易にできるわけのものでなかつたのである。が、それにも拘はらず、その何れにも該当しない境遇で、ともかくも、日本を離れ、幸運にも目的の土地を踏んだ若干の例外はある。
 私もその例外の一人である。そして、そんなことは自慢にもなにもならぬが、たまたま外遊熱が盛んな今日、資力の点でその念願の叶はぬことを嘆く一部の青年たちに、私の場合を一例として挙げ、そんな方法もあるのかといふことを知らせるのは、まんざら無駄でもあるまいと考へた。断つておくけれども、気紛れな日本脱出の手引きをしようなどとは毛頭考へてゐない。

 私がフランスに渡ることを思ひたつたのは、東大フランス文学科選科に在学中である。軍隊生活といふ廻り道をしたので、当時、私は二十六歳であつた。今日でいふアルバイト学生で、家庭教師などしながら生活費と学費とを稼いでゐたのだが、外国行の費用はもちろんどこからも出るあてはなく、そこで私は二年計画で、片道の旅費だけを作る算段をした。それにはちやうど、当時の白水社が新しいフランス語辞典の出版を企画し、先輩諸先生がその編纂に従事することになつたので、私はその下仕事をさせてもらふことにした。
 前途に希望がみえたので、私は一所懸命に、それこそ昼夜兼行で、原稿を書いた。しかし、念を入れれば入れるほど、仕事が捗らぬのは当然で、予定の収入に達することはまづなかつた。二年目の夏が来た時は、一文の蓄へもなく、やゝ失望しかけたが、幸ひなことに、その夏、先輩諸先生と共に開いたフランス語講習会が思はぬ成功ををさめ、私は、金一封の餞別をもらつた。実は、金ができなくつても、その夏は是が非でも日本を離れる決心…

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