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北海道の性格
ほっかいどうのせいかく |
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作品ID | 44835 |
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著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「岸田國士全集28」 岩波書店 1992(平成4)年6月17日 |
初出 | 「婦人公論 第三十七巻第八号」1951(昭和26)年8月1日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2011-04-30 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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私が最初に北海道の土を踏んだのは、今から四十いく年か前のことで、たしか十六か十七の時であった。
父が九州小倉の師団から旭川へ転任になり、一家を挙げて新任地へ移って行ったので、当時東京中央幼年学校に在学中であった私は、夏休みに、まったく見知らぬ土地へ帰省することになったわけである。従って、父の在任中、ふた夏を北海道で過す機会を得たので、いくぶん土地との親しみもついてゐる。
その上、現在小樽高商出の佐竹佐武郎の許に嫁した末の妹は、旭川で生れたといふので、父が朝子と命名した由来も知ってゐるし、先年物故した次弟は、函館商船学校に学んだ経歴があったし、もっと遡れば、慶応で長く教鞭をとってゐた叔父は、札幌農学校の初期の学生であったと聞いてゐる。
こんな因縁話は誰にでもありさうなことだけれど、私の場合は、少年時代から今日までに捉へ得た北海道のすがたは、断片的な印象としてではなく、土地全体の概念として、一種奇怪な迫力をもって、常に記憶と想像の中に蘇って来るのである。
これは私の貧しい地理学の中で、まったく他に例のないことである。事実、内外を通じて、私の歩いた土地はかなり広いつもりであるが、いかなる驚異も感動も、時がたつにつれて、それは単なる回顧の霧のなかに包まれるか、せいぜい、郷愁の如きものの募るにまかせ、再遊の願望が燃えるくらゐのものである。
ところが、北海道となると、特にこれといって懐しい思ひ出があるわけでなく、とり立てて礼讃したいやうな場所を挙げることもできないのに、たゞ、なんとなく、その名が私の胸を強く打つ所以は、いったいどこから来るのであらう?
それは、異境にあって帰国を想ふ情ともむろん同じではない。第一、北海道は、私の郷里でもなんでもないのである。
では、私の知ってゐる限りで最も好ましい土地といへるか? 必ずしも、さうとは言へないやうだ。
いろいろと考へてみて、私はまだ、はっきり、その理由を指摘することができないのである。
もうかれこれ十四、五年前のこと、ある雑誌社主催の講演会で、たまたま、久しぶりに北海道へ渡ったことがある。今でもはっきり覚えてゐるが、たゞの講演旅行とはおよそ違った興味と期待とで、私は、その勧誘に応じたのである。さう言へば、その時、私が一番楽しみにしてゐたのは、北海道がどんなに変ったらうか、といふことであった。
そのつぎに北海道を訪れたのは、昭和十七年の二月であった。真冬の北海道が一番北海道らしいにちがひないと思ったので、わざわざ用事をつくって出掛けたのである。この時も、北海道がどんな土地になってゐるかを、できるだけ自分の眼でたしかめたかった。
さて、さういふわけで、今年の六月、かねがね娘たちも北海道を見たいと言ってゐるので、私は、彼女らの希望をかなへるかたはら、自分でも多少調べたいことがあって、一週間といふ限られた日程…