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女優の親
じょゆうのおや
作品ID44850
著者岸田 国士
文字遣い新字新仮名
底本 「岸田國士全集28」 岩波書店
1992(平成4)年6月17日
初出「芸術新潮 第四巻第九号」1953(昭和28)年9月1日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2011-04-26 / 2014-09-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 三島由紀夫君の戯曲『夜の向日葵』を読んだときには、これを、文学座の本公演でやるのは、ちよつと無理じやないか、観客がついて来ないのじやないかと心配した。――それは作品の責任ばかりではないけれども――。
 ところが、実際あゝして舞台にかけてみると、一部の気むずかしい批評家を除いては、わりにみんな楽しんで観ていたので、あゝよかつた。これだけ観客にわかつて、観客がついて来ればまア大丈夫だ。そういう安心感のようなものを感じた。あれで観客が冷然と、あの舞台を観ているようだつたら、僕もあるいはあれほど楽しく観られなかつたかも知れない。
 それと、三島君の場合、あゝいう大勢の観客の前で作品を上演するのは初めてであり、僕は自分の経験からいつても、最初の観客の反響というものは劇作家の生涯――生涯というのは大袈裟だけれども――これから後の仕事にずいぶん影響するわけで、こんどの三島君の場合のように、あゝいうふうに観客が素直に作品を理解して、――どの程度まで理解したかということは別だけれども、――とにかく楽しんで観ていたということは、これからの三島君の劇作家としての仕事に一つのプラスになることで、それを非常に嬉しいことだと思つた。
 観客というものは実によき批評家であると同時に、これは誰も言うことだけれども、舞台をつくる一つの協力者であつて、いろ/\なことを役者も演出家も作者も教えられるとともに、反省させられたり、また時によると非常に甘やかされたり……するもので、今度の『夜の向日葵』の場合など、舞台稽古の時まで、役者が手探りでやつていた不安な部分が、舞台にかけて、観客の反響に直接ぶつかつて、新しい、いろいろな事がはつきりした、そのいい例だと思う。
 それから、僕の非常に喜んでいることは、文学座が福田(恆存)君あたりから、若い、新しい作家の創作劇をやるようになつて、役者がまた新しく勉強しているということで、その結果は、まだはつきりとは現われていないけれども、新しい演技への意欲のようなものが感じられた。一部の人たちから、文学座の俳優の演技には、一つの古い殻が出来かけているというようなことが言われているとき、そういう殻をだん/\にふるい落す、一つの契機になつていると思う。

 この『夜の向日葵』に、僕の娘も出ている。今日子の初舞台は『キティ颱風』で、あのときは、はら/\するばかりであつたが、その後、アトリエ公演の『狐憑き』に出て、こんどが三度目であるが、しかし、まだ、それこそ役者というようなものではない。
 僕は『罪の花束』という小説で、若い女優の育つていく経路を書いたのだが、俳優の場合、どこからが職業人と呼べるか、けじめがむずかしい。それは、どういう職業でも同じことだけれども、役者の場合は、特にメチエというものが尊重される。それがなくては、ほんとうに人に観てくれということは出来るもので…

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