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返事
へんじ
作品ID44857
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集28」 岩波書店
1992(平成4)年6月17日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2011-04-18 / 2014-09-16
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 お手紙の趣旨は第一に、この苦難と不安に満ちた現実生活を、芝居の世界で、つまり、舞台の上で、どんな風に取扱つたらいいかといふこと、ですね。われわれが日常、真剣に取組んでゐる問題を、そのまま、芝居に仕組んで見せるといふやり方にはおのづから限度があると思ひます。
 私はこんどゴーリキイの『どん底』を演出するについても、「どん底」生活の惨めさ、暗さを、虐げられた人々の憤りやあきらめといふかたちで、そのまま強く表面に出す代りにむしろ、誰が考へても、やり切れないやうな、荒んだ暗い生活のなかで、最後まで希望を失はない、人間の、いはば底抜けの楽天性と、それをおほらかに肯定するゴーリキイの、善意と同胞愛に暖められた作者の単純な微笑とを、この戯曲演出の基調としようと思つてゐます。
 たしかに、この作品では、三つの死が取扱はれてゐます。死といふものから、すぐに、暗黒を連想するのは、われわれの常識ですが、その死を語る語り方には、いろいろな表情がある筈です。
 病ひにしても、貧しさにしても、その他すべての人生における不幸そのものと、その不幸を語る語り方との間には、芸術といふものがはいり込む余地があります。語り方の色合ひを、大きく分ければ、どうなりますか? 両極端は、厳粛と軽薄でせう。若し、真実が語られてゐれば、決して軽薄にはならぬ筈です。また、もし、語り方に真実があふれてゐれば、どんなにそれが明るい印象を与へても、決して、厳粛を損ふことはありません。
 なぜなら、『どん底』の舞台が暗鬱になるといふことは、原作の精神から外れてゐるばかりでなく、演劇として、幼稚な現実模写の域を脱しないことになるのです。この戯曲を、いたづらにじめじめした感傷に終らせることなく、清々しい詩的感動にまで高めたいといふのが、私の念願です。
 もう一つ最後に、申したいことは、ゴーリキイの『どん底』に登場する人物は、実にさまざまなタイプで、さまざまな運命に翻弄されてゐますが、そろひもそろつて「もつとましな生活」をしたいといふ、かすかな、或は、激しい、願望を抱いてゐるといふことです。それを自分で意識してゐない人物もゐます。最後の幕切れの合唱が象徴するやうに、彼等は、どんなに惨めな境遇に陥つてゐても、生きる「喜び」を失ひたくない人達です。つまり、歌を忘れない人たちです。
 ゴーリキイは、それとはつきり言つてはゐませんが、彼等の夢は、いつか、彼等自身の「生きようとする力」によつて、彼等のものとなることを信じてゐるのでせう。



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