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甘い話
あまいはなし |
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作品ID | 44892 |
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著者 | 岸田 国士 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「岸田國士全集28」 岩波書店 1992(平成4)年6月17日 |
初出 | 「スヰート 第五巻第三号」1930(昭和5)年7月10日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2011-03-24 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 3 ページ(500字/頁で計算) |
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僕は小供の時分、どんな菓子が好物だつたか、今思ひ出さうとしても思ひ出せないが、生れてから十年近くを過した四ツ谷塩町附近に、松風堂といふ菓子屋のあつたことを覚えてゐるのは不思議である。
その頃写した写真に、巻煎餅をしつかり握りしめてゐる写真がある。
おやぢがはじめて、モルトンといふ西洋風の菓子を買つて帰つて来た。その後、近所の遊び友達も同じモルトンをしやぶつてゐるのを発見したが、彼等はそれをドロツプと呼んでゐた。なぜ自分のだけがモルトンであるかは、永久にわからなかつた。
十七八の頃、自分の小遣で菓子を買ふやうになつて、僕は、しきりにマシマロを買つた。今から考へると、あの粉をふいた五色の肌こそは、ほのかな香りと、滑らかな弾力とを忍ばせて、怪しくも青春第一歩のノスタルヂイを感ぜしめたものに違ひない。
仏蘭西で食べた菓子のうちで、僕がもつと食べたいと思ふのは、ブリオシユとババ・オオ・ロムと、それからマロン・グラアセである。
ブリオシユは、カステラとパンの混血児みたいな菓子だが、舌ざわりは天下一品である。マロン・グラアセは栗の砂糖漬で、日本の甘納豆に当るだらう。元来、栗はシヤアテエニユといふのだが、料理や菓子に使はれる時に限つてマロン即ち「マロニエの実」を云ふらしい。マロニエの実は、ドングリの如く普通食へないものとなつてゐる。
序に、日本でシユウ・クリイムと呼んでゐる菓子は、英国へ行つても仏蘭西へ行つてもその名前では通用しない。英吉利でシユウ・クリイムを持つて来いと云つたら、靴墨を持つて来たといふ落噺もできてゐるくらゐだ。僕の判断では、この名前は恐らく、仏蘭西のシユウ・ア・ラ・クレエムから来てゐるのだらうと思ふ。シユウは玉菜のことだ。キヤベヂの形をしてゐるといふ意味だ。英語のクリイムは仏蘭西語でクレエム、前置詞と冠詞は日本流に省いて、シユウ・クリイムといふ新しい言葉ができたわけである。
日本では甘党辛党などゝ称し、酒好きと菓子好きとを対立させてゐるが、これはどうも理屈に合はぬらしい。ババ・オオ・ロムの如く、酒入りの菓子があることはその不合理を証明してゐる。
最近僕の義弟Y砲兵少佐が、三年間の巴里駐在を終へて帰つて来た。数々の土産物を取巻いて、われわれはいろいろな土産話を聴いた。その中で僕をふと微笑ました話――
Yは愈々帰朝の内命を受けてぼつぼつ旅の支度に取りかゝつた。下宿の人達は、彼が毎日鞄の蓋を開けたり閉めたりしてゐるのを見てゐた。ある日その下宿の女中は、洗濯物を持つて来た序に、こんなことを云ひ出した。
――コンマンダン! 鞄には、まだ容れる場所がありますの?
――うむ。あると云へばあるし、ないと云へばない。
――出来れば、ひと処空けておいて下さいましね。あたくしから、お国のお子様たちにお土産を差上げたいのですから……。
Yは、それから…