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行乞記
ぎょうこつき |
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作品ID | 44913 |
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副題 | 01 (一) 01 (いち) |
著者 | 種田 山頭火 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「山頭火全集 第三巻」 春陽堂書店 1986(昭和61)年5月25日 |
入力者 | さくらんぼ |
校正者 | 小林繁雄、門田裕志 |
公開 / 更新 | 2008-04-14 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 160 ページ(500字/頁で計算) |
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このみちや
いくたりゆきし
われはけふゆく
しづけさは
死ぬるばかりの
水がながれて
九月九日 晴、八代町、萩原塘、吾妻屋(三五・中)
私はまた旅に出た、愚かな旅人として放浪するより外に私の行き方はないのだ。
七時の汽車で宇土へ、宿においてあつた荷物を受取つて、九時の汽車で更に八代へ、宿をきめてから、十一時より三時まで市街行乞、夜は餞別のゲルトを飲みつくした。
同宿四人、無駄話がとり/″\に面白かつた、殊に宇部の乞食爺さんの話、球磨の百万長者の慾深い話などは興味深いものであつた。
九月十日 晴、二百廿日、行程三里、日奈久温泉、織屋(四〇・上)
午前中八代町行乞、午後は重い足をひきずつて日奈久へ、いつぞや宇土で同宿したお遍路さん夫婦とまたいつしよになつた。
方々の友へ久振に――ほんたうに久振に――音信する、その中に、――
……私は所詮、乞食坊主以外の何物でもないことを再発見して、また旅へ出ました、……歩けるだけ歩きます、行けるところまで行きます。
温泉はよい、ほんたうによい、こゝは山もよし海もよし、出来ることなら滞在したいのだが、――いや一生動きたくないのだが(それほど私は労れてゐるのだ)。
九月十一日 晴、滞在。
午前中行乞、午後は休養、此宿は夫婦揃つて好人物で、一泊四十銭では勿躰ないほどである。
九月十二日 晴、休養。
入浴、雑談、横臥、漫読、夜は同宿の若い人と共に活動見物、あんまりいろ/\の事が考へ出されるから。
九月十三日 曇、時雨、佐敷町、川端屋(四〇・上)
八時出発、二見まで歩く、一里ばかり、九時の汽車で佐敷へ、三時間行乞、やつと食べて泊るだけいたゞいた。
此宿もよい、爺さん婆さん息子さんみんな深切だつた。
夜は早く寝る、脚気が悪くて何をする元気もない。
九月十四日 晴、朝夕の涼しさ、日中の暑さ、人吉町、宮川屋(三五・上)
球磨川づたひに五里歩いた、水も山もうつくしかつた、筧の水を何杯飲んだことだらう。
一勝地で泊るつもりだつたが、汽車でこゝまで来た、やつぱりさみしい、さみしい。
郵便局で留置の書信七通受取る、友の温情は何物よりも嬉しい、読んでゐるうちにほろりとする。
行乞相があまりよくない、句も出来ない、そして追憶が乱れ雲のやうに胸中を右往左往して困る。……
一刻も早くアルコールとカルモチンとを揚棄しなければならない、アルコールでカモフラージした私はしみ/″\嫌になつた、アルコールの仮面を離れては存在しえないやうな私ならばさつそくカルモチンを二百瓦飲め(先日はゲルトがなくて百瓦しか飲めなくて死にそこなつた、とんだ生恥を晒したことだ!)。
呪うべき句を三つ四つ
蝉しぐれ死に場所をさがしてゐるのか
・青葉に寝ころぶや死を感じつゝ
毒薬をふところにして天の川
・しづけさは死ぬるばかりの水が流れて
熊本を出…