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黄昏
たそがれ
作品ID4494
著者水野 葉舟
文字遣い新字新仮名
底本 「遠野へ」 葉舟会
1987(昭和62)年4月25日
入力者林幸雄
校正者今井忠夫
公開 / 更新2004-03-29 / 2014-09-18
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 佐々木君が馬車に乗ってしまうのを見送って、二階にあがって来た。けさ遠野から馬車に乗った人たちが、二組三組に分かれてほうぼうの室の炬燵にあたっている。時計を見ると、もう三時少し過ぎた。
 一人ぼつりと二階の自分の室に入ってくると、出たままになっている炬燵の口から、また足を入れた。今日は寒い薄日のさした日だ。からだを少し横にして、天井を見ていたが、親しみがたく、落ちつかぬ。ぼやっとした感じがこのからだを取りかこんでいる。寒さが沁みわたる。もう三月の二十九日。東京ならば桜も咲こうという頃なのだ。
 ここは遠野町と、花巻町との中継ぎの村で宮守というところ。両方から出る馬車が、この村まで来て、客を乗せ換えて引き返して行くところである。
 私はちょうど一と月ばかり前、雪がもっと深い時分にここを通って遠野に行った。今日はその帰途である。

 けさは九時に馬車が遠野を出た。同行の佐々木君は馬車に乗ると、かならずからだを悪くすると言うので、十二里に少し遠い花巻まで歩くこととした。その佐々木君も遠野の町はずれで別れて、五里半あると言う道を揺られながら、ここに着いて見ると、花巻からの馬車はまだ来ておらぬと言う。春といっても、短かい日はもう、どことなく傾いている。まだここから花巻までは七里、覚束ない、薄ら寒い心持ちが胸に映える。
 馬車がここに着いて、この中継ぎの宿屋の門に立っていると、佐々木君も峠を越してちょうどこの村にはいって来た。で、同じ家の二階に上って向い合って食事をすますと、佐々木君は遅くも九時頃までには花巻に着きたいと言って、つぎの村まで人車に乗ることにした。で、今夜、約束の宿屋で落ち合うと言うことにして、別れて行った。
 私は室の中で一人当てなしに、ぼつりとして花巻からくる馬車を待っていた。
 家を出てから、もうまる一と月になる。旅にも倦んだ。見知らぬ人の顔ばかり見て、自分とはまったく関係のない人の中に身をおいて来た心安さと、寂しさとにももう飽きた。はじめて見た自然に対する好奇心[#「好奇心」は底本では「好寄心」]はなおさら早く消え去った。私は空虚のような心でもってぼつりとしているようだ。今はなおさら、そう思われる。そして、一種の捕え難い哀しさが心に薄く雲がかかるようになっている。
 私は何にも思うのが嫌いだ。今日の前途の不安心ということもあるが、それよりも今自分の目にぱっと心が引くような色彩がない。なにかそれが欲しい。……と言っても、心には取りとまりがないほどの、かすかな欲望だ。
 と思う中にうとっとした。
「もしもし。」
 私は女の声に起こされた。目を開けると、
「今、馬車が出ますが。」と言って枕元にここの娘が坐っていた。
 私は飛び起きて立った。
「出る?」と言うと、心がやっと落ちついて脱いでおいた外套を手早く取って着た。そして、始終持っている手さげを持つと、…

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