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夏秋表
かしゅうひょう
作品ID450
著者立原 道造
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆18 夏」 作品社
1984(昭和59)年4月25日
入力者砂場清隆
校正者菅野朋子
公開 / 更新2000-07-28 / 2014-09-17
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

    その一

 私はふたつのさびしい虫のいのちと交感を持った。

 信濃路に夏の訪れのあわただしい日、私は先生の山荘の庭に先生とならんで季節の会話のひまにその虫の声を聞いたのである。春蝉と言った。七月なかば、五日か七日をかぎって、林のなかに啼いて、あとは行方も知らない。その日々の高原の空にはほととぎす、やぶうぐいす、閑古鳥などの唄がひびいていた。そのなかに、春蝉は彼のかなしい感傷の小曲をうたいあげたのである。
 夏のあいだ、私は忘れるとなしに彼のことを忘れていた。幾たびも物がなしい夕ぐれに出会い、そのようなおりに私は彼のことを思い出さねばならなかった筈である。しかし私はすっかり忘れ果てていた。
 やがて夏も逝き、秋も定まった一日、私はふたたび先生の庭に客となった。そのとき先生は虫籠を示され、その虫を草ひばりと教えられ、その姿に「仄か」という言葉で註せられることを怠られなかった。座には高名な抒情の小説をものされる人が居あわせ、先生のその紹介も実はその小説家に向いてであったのだが、私はそれを盗んだ。夜に入って、それがその年の夏のおわりの一夜となったのだが、私は先生の書斎じゅうにせいいっぱいの魂を傾けつくしてうたい上げる草ひばりの唄を聞いた。私のもっとも潤沢のこの一刻に、私は、忘れていた春蝉のことを思い出し、この虫とあれと考え比べた。比べずともよい啼き声だったのである。草ひばりの声は、純粋な白金で造られた精巧な楽器を稚拙な幼童がもてあそんでいるような、ぎりぎりのイロニイであった。これをイロニイと聞いたのは私の歪みであったとおもうゆえ、私はそのことにひとつも触れず、そっと耳ばかりで彼の透明なうたい口を噛みしめていたのである。
 次の朝、草ひばりは籠を逃れ去った。私はこの叛いた虫を叢に追う愚行を敢てした。私だけのみれんである。叢では、昨夜の冴えと張りを忘れた虫らが、しらべのみはおなじ唄を繰りかえしていた。私は索然とした嫌悪を覚えた。しかし手は徒らに草の葉の向うをさぐりつづけた。

 夏のはじめと夏のおわりと――。
 私はこの虫らのいのちに交感を持った記憶をきょう忘れつくすことをねがっている。

    その二

 私はひとつの花を誹謗しよう。
 信濃路の村でその花を私は田中一三にたいへんたのしく教えた。淡いかなしい黄の花びらを五つ、山百合のように、しかしあのように力強くなく寧ろ諦めきったすがすがしさで、夕ぐれ近い高原の叢に、夏のはじめから夏のなかばまで日ごとのつとめとしてひらく花である。ゆうすげという名を或るひとから習った。そのあと植物学ぶ人から萱草、わすれぐさ、きすげと習い、また時経てその花びらを食用にすることまでも習った。私は習いおぼえたかぎりを田中一三に教えた。
 きょう私は最初にその花を教えてくれたひとに向って愚痴を繰返すことを情ない慰さめとして持っている…

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