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大菩薩峠
だいぼさつとうげ
作品ID4505
副題20 禹門三級の巻
20 うもんさんきゅうのまき
著者中里 介山
文字遣い新字新仮名
底本 「大菩薩峠6」 ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年2月22日
入力者(株)モモ
校正者原田頌子
公開 / 更新2002-11-21 / 2014-09-17
長さの目安約 172 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 宇治山田の米友は、あれから毎日のように夢を見ます。その夢は、いつもはんで捺したように不動明王の夢であります。夢や新聞は、毎日変ったものを見せられるところにねうちがあるのだが、米友のように、毎夜毎夜同じ夢ばかりを見せられては、驚かなければなりません。
 夢から醒めたたびに米友の驚き呆れた面も、やはりはんで捺したようなものです。米友はついに堪り兼ねて、床の間にかけてあった不動明王の画像を取外しました。この画像があるから、夢を見せられるのである、画像が無ければ、夢も無くなるであろうと思って、その晩は取外して床の間へ捲いておいたけれど、やはり同じように、不動明王の像が夢に現われました。米友は癪にさわってこの画像を、よそへうつしてしまおうと思って、今、かつぎ出したところであります。
 今日は例の手槍を持って出ることの代りに、かなり大きな不動尊の画像を担いで、例によって両国橋を渡りかけました。そこで米友が思うには、これを打捨るにしても不動尊である、有難がっても有難がらなくっても、不動明王のお像である。芥溜の中へ打捨るわけにはゆかない。さりとて、道の真中へ抛り出してもおけない。また米友には、屑屋に売り飛ばすというほどの知恵も浮ばない。売り飛ばしてそれを己れの巾着銭にしようというような知恵は米友には出ない。出て来たところで彼の良心が許さない。この場合、不動尊の殊勝な信心家が現われて、この画像を米友の手から乞い受けて、祀りあがめる人が出て来れば米友は一議に及ばず、その画像を譲り渡したものであろうと思われるが、不幸にしてその人を得ることができない。せっかく、不動尊を担ぎ出して来たものの、実際、米友はこれをどう扱っていいかということに迷いきっているのです。この点においては、曾て京都へ遊びに行った弥次郎兵衛と喜多八とが、梯子を買ってもてあまして、京都の町を担ぎ歩いたようで、米友のは梯子よりは有難い不動様であるだけに、なおさら捨場に困るのであります。
 ほかのことにはあまり頓着はしない米友が、こういうことになると真面目に苦心するのです。甲州の袖切坂で鼻緒の切れたお角の下駄を、どう処分しようかと思って、二里も三里も持ち歩いたこともあります。今はその下駄とも違って、不動明王のお像だから、担ぎ出しは担ぎ出したものの、その心の中の苦心は容易なものではありません。
 で、両国橋へ来て、フト思案半ばに思いついたのは、やっぱりここから川の中へ投げ込むのがよかろうということでありました。両国橋から物を投げ込んだことは、米友には今までに経験がないではありません。第一には、天誅組の貼紙をした立札を引っこぬいて、この川の中へ抛り込みました。第二には、金助から侮辱されて腹立ちまぎれに、頭からかぶって金助を、大川の真中へ抛り込んだこともあります。
 それで米友は、こんどもその伝で不動明王を、ここから川…

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