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鍛冶屋の子
かじやのこ |
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作品ID | 45078 |
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著者 | 新美 南吉 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本児童文学大系 第二八巻」 ほるぷ出版 1978(昭和53)年11月30日 |
初出 | 「新美南吉十七歳の作品日記」牧書店、1971(昭和46)年7月 |
入力者 | 菅野朋子 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2011-02-15 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
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何時まで経つてもちつとも開けて行かない、海岸から遠い傾いた町なんだ。
――街路はせまい、いつでも黒くきたない、両側にぎつしり家が並んでゐる、ひさしに白いほこりが、にぶい太陽の光にさらされてゐる、通る人は太陽を知らない人が多い、そしてみんな麻ひしてゐる様だ――
新次は鍛冶屋にのんだくれの男を父として育つた少年であつた。母は彼の幼い時に逝つた。兄があつたが、馬鹿で、もういゝ年をしてゐたが、ほんの子供の様な着物をつけて、附近の子供と遊んでばかしゐた。兄の名は馬右エ門と云つた。併し誰も馬右エ門と云はず、「馬」と呼んだ。
「馬、お前は利口かい」
「利口だ」
「何になるんだ」
「大将」
小い少年が、訊ねるのに対して、笑はれるとも知らないでまじめに答へてゐる兄を見る時、新次は情なくなつた。兄はよく着物をよごして来た。小い少年にだまされて、溝なんかに落ちたのであつた。その度に新次は着物を洗濯せなければならなかつた。
「兄さん」新次がかう呼びかけても馬右エ門は答へないのを知つてゐたけれど(馬右エ門は誰からでも「馬」と呼ばれない限り返事をしなかつた)度々かう呼びかけた。がやはりきよろんとしてゐて答へない兄を見ると、「兄さん」と云ふと「おい」と答へる兄をどんなに羨しく思つた事か。
新次は去年小学校を卒業して、今は、父の仕事をたすけ、一方、主婦の仕事を一切しなければならなかつたのである。何時でも彼は、彼の家庭の溝の中の様に暗く、そしてすつぱい事を考へた。
炊事を終へて、黒くひかつてゐる冷たいふとんにもぐつてから、こんな事をよく思つた――
せめておつ母が生きてゐて呉れたらナ。せめて馬右エ門がも少ししつかりしてゐてお父つあんの鎚を握つてくれたらナ、
せめてお父つあんが酒をよしてくれたらナ――
けれど、直、「そんな事が叶つたら世の中の人は皆幸福になつて了ふではないか」とすてた様にひとり笑つた。
まつたくのんだくれの父だつた。仕事をしてゐる最中でもふらふらと出て行つては、やがて青い顔をして眼を据へて帰つて来た。酒をのめばのむ程、彼は青くなり、眼はどろーんと沈澱して了ふ彼の性癖であつた。葬式なんかに招かれた時でも、彼は、がぶがぶと呑んでは、愁に沈んでゐる人々に、とんでもない事をぶつかける為、町の人々は、彼をもてあましてゐた。彼は六十に近い老人で、丈はずばぬけて高かつた。そして、酒を呑んだ時は必つとふとんをかぶつて眠つた。併し、大きないびきなんか決して出さなかつた。死んだ様に眠つてゐては、時々眼ざめてしくしく泣いた。そんな時など、新次はことにくらくされた。
学校の先生が、一度新次の家に来た時、若い先生は、酒の身躯によくない事を説いた。新次の父は、
「酒は毒です、大変毒です、私はやめ様と思ひます、まつたくうまくないです、苦いです、私はやめ様と思ひます、それでもやつぱりあかん…