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![]() とりえもんしょこくをめぐる |
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作品ID | 45081 |
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著者 | 新美 南吉 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本児童文学大系 第二八巻」 ほるぷ出版 1978(昭和53)年11月30日 |
初出 | 「花のき村と盗人たち」帝国教育会出版部、1943(昭和18)年9月30日 |
入力者 | 菅野朋子 |
校正者 | 江村秀之 |
公開 / 更新 | 2013-07-13 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 34 ページ(500字/頁で計算) |
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一
鳥山鳥右ヱ門は、弓矢を抱へて、白い馬にまたがり、広い庭のまんなかに立つてゐました。しもべの平次が犬をひいてあらはれるのを待つてゐたのです。
その、しもべの平次を、主人の鳥右ヱ門はあまり好きではありませんでした。平次はかれこれ二月ばかりまへ、鳥右ヱ門の館にやとはれて来た、背の低い、体のこつこつした、無口な男です。どこの生まれなのか、自分でもよく知らないといつてゐました。自分の生まれたところを知らないのは、馬鹿に違ひない、といふので、鳥右ヱ門の館では、平次をうすのろといふことにきめてゐました。平次はそれでも平気のへいざでした。しかし鳥右ヱ門は、ときどき、平次の眼の鋭く澄んでゐるのにびつくりすることがありました。みんなの眼が、よろこびに酔つたり、有頂天になつて落ちつきをうしなつたやうなときに、平次の眼は反対に、秋のひぐれの沼のやうに冷たく澄むのです。そんなとき、よく見ると、くつと結ばれた平次のくちのまはりに、かすかな笑ひのしわがあらはれてゐることもありました。鳥右ヱ門はかういふ眼で平次から見られると、一ぺんで何かが体からぬけていくやうに感じるのでした。たとへば、誰かをどなりつけようとして、口をあけかかつた瞬間、平次の冷たい眼にであふと、急にどなる元気がなくなつて、「もういいからあつちへ行け。」と相手に不機嫌さうにいふのでありました。
鳥右ヱ門にとつていちばん面白くないことは、鳥右ヱ門の大好きな犬追物をするときにかぎつて、平次の眼が鋭くとがめるやうに鳥右ヱ門の心をさすことでありました。生きた犬を放つて馬の上から射殺す、この犬追物の遊技は、鳥右ヱ門の何より好きなもので、三日に一度は、必ず館の庭で、自分一人で練習をしました。練習とはいつても生きた犬を射殺すので、三日に一匹づつどこかで犬を探し出して来なければなりませんでした。この役目を平次は仰せつかつてゐたのでした。平次は、だまつて犬をひいて来て、主人の矢の先で、首から縄を放すのでしたが、主人の矢が、みごとに犬の急所をつらぬいても、ほかのしもべどものやうに、「お見事なうでまへでございます。」とほめたりしませんでした。犬のむくろから矢をひきぬくと、自分の赤ん坊でもかかへこむやうにして、犬を持ち、主人の方に冷たい眼をちらつとむけて、いつてしまふのでした。その眼はかういつてゐるやうに鳥右ヱ門には思へました。「よりによつて、何といふ殺生な遊びごとをなされることでござりませう。」そんなわけで、鳥右ヱ門は、やがてあらはれて来る平次のことを、こころよからず思つてゐたのでした。
まもなく中門から平次がはいつて来ました。今日は大きな犬をひいて来ました。その犬は、ここへつれられて来るたいていの犬がするやうに逃げようとしたり、ひかれていくのをいやがつて、地べたに坐りこんでしまつたりせずに、首を地に低くたれて、すなほに平次のあとを…