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痍のあと
きずのあと |
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作品ID | 4515 |
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著者 | 長塚 節 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「長塚節全集 第二巻」 春陽堂書店 1977(昭和52)年1月31日 |
入力者 | 林幸雄 |
校正者 | 伊藤時也 |
公開 / 更新 | 2004-05-25 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 10 ページ(500字/頁で計算) |
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豆粒位な痍のあとがある。これは予が十八の秋はじめて長途の旅行をした時の形見であるが今でも深更まで眠れない時などには考へ出して恐ろしい感じのすることもある。予は其頃まで奧州の白河抔といふと唯遠い所と計り思つて居たのであつたが、ふと陸地測量部の地圖を披いて案外に近い所なのに驚いた。それからといふもの旅行がして見たくて堪らないので母に二週間ばかりの旅費を貰つて出掛けた。水戸から久慈郡へ拔けて蒟蒻粉で有名な大子の町から折れて下野へ出た。或る山の小村で夜を明して翌日那須野を横斷して其日は一日のうちに鹽原の奧まで行つた。何を見ても愉快であつたが、殊に那須野を横斷する抔といふことが手柄のやうに思はれた。蕭殺として淋しい山路は身が引き緊まる樣な氣がして長途の割合には疲勞も無く、鹽原の湯へ着いたのは夕方であつた。
まだ浴客の居る可き季節であらうに、二階も三階も戸を鎖して、極めて寂寥たるさまである。夏の末に暫く逗留して居たのであるから、まだ此間の樣に思はれるのであるが、其變化は三年も經過した樣に感ぜられる。
爐の側にはまあちやんといふ娘が只一人手仕事をして居る。まあちやんは慌てゝすゝぎを取らうとする。予はすぐに入浴する積りであるから、湯下駄の古いのを引つ提げて坂を驅け降りた。まあちやんはあれ私が持つて行きましやうとあとから跟いて來た。鹿股川の水はいつも清冽であるが、岸の浴場の變つたのには一驚を喫した。僅に一つの湯槽が殘つてあるばかりだ。湯槽といふのは、汀の巖を穿つてそこへ据ゑ付けたものであるが、其穿つた跡まで掻き浚つた樣になつて居る。まあちやんに聞いて見ると初秋の大洪水の時に押し流されたのであるとのことである。それで七十にも成る老人が物心覺えてからこんどの樣な洪水の慘害は見たことがないというたとの話である。
驟雨が來ると溪間々々の水は一所に集つて、雲のまだ收まるか收まらぬに鹿股川は濁流が漲るのである。あれといふ間に湯槽の中へ水が押し込んで、うつかりした浴客は衣物も持たずに逃げ出すといふこともある。かういふ時は水底の石と石とが相搏つてどう/\と凄じい響が聞える。こんな現象は予も夏中屡々目撃して寧ろ壯快に感じたのであつた。それも暫時に水は落ちて、其日のうちにも入浴が出來る樣に成つてあとは何の異状をも留めないのであつた。それであるからこんな慘状を呈するまでにはどんな勢であつたらうか想像も出來ないのである。其時は幾日も降り續きて山が崩れたといふ騷ぎ橋が落ちるといふ騷ぎでお客さんは出ることもはいることも出來ないでみんなが毎日こぼして居ましたとまあちやんがいつた。
秋の日はずん/\薄くらくなつた。下流は兩岩の削壁に密樹が掩ひかぶさつて居るため一層凄く見える。浴客が芋をもむ樣にこみ合ふた夏の趣きを思ひ合せると情ない樣である。まあちやんの姿も紺飛白の單衣に襷掛けで働いて居た時とは違つ…