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![]() やまさちかわさち |
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作品ID | 45171 |
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著者 | 沖野 岩三郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本児童文学大系 第一一巻」 ほるぷ出版 1978(昭和53)年11月30日 |
初出 | 「金の船」キンノツノ社、1920(大正9)年1~2月 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 田中敬三 |
公開 / 更新 | 2007-04-11 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 9 ページ(500字/頁で計算) |
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一
昔、紀州の山奥に、与兵衛といふ正直な猟夫がありました。或日の事いつものやうに鉄砲肩げて山を奥へ奥へと入つて行きましたがどうしたものか、其日に限つて兎一疋にも出会ひませんでした。で、仕様事なしに山の頂から、ズツと東の方を眺めて居ますと、遙か向ふから蜒々とした細い川を筏の流れて来るのが見えました。
「あの筏が丁度この山の麓まで流れて来る間に俺はこゝから川端まで降りて行かれる。そして俺はあの筏に乗つて家へ帰らう。さうぢや、それが宜い。」
与兵衛はさう考へながら、山の頂から真直に川の方へ、樹の枝に攫りながら、蔓に縋りながら、大急ぎに急いで降りて行きました。そして川岸から三十間ばかり上の方まで来た時、右手の岩の上の大きな樫の枝が、ザワ/\と動くのが逸早く与兵衛の眼に映りました。
与兵衛は鉄砲を取直して、そつと木の枝の間から覗いて見ますとその樫の木の上に大きな猿が二疋、頻りに枝を揺ぶりながら樫の実を取つて居るのでした。
それを見た与兵衛は筏の事も何も打忘れてしまつて、忍び足にその樫の木に近寄つて行きました。所が樫の木の枝には二疋の大猿の外に小い可愛い猿が、五疋七疋十疋、ピヨン/\と枝から枝へ、跳びあるいて遊んで居るのです。で、与兵衛は其中の一番大きい親猿を射つてやらうと思つて、狙ひを定めて、ドーン! と一発射ちました。
「しめた!」と与兵衛は叫びました。それは与兵衛の長い間の経験から、鉄砲の音でその弾丸があたつたか、あたらなかつたかが、すぐに知られたからでありました。
与兵衛はすぐ新しく弾丸を込めて樹の上を見ました。もう其時は皆な五疋十疋の猿が幹を伝つて一生懸命に跳び降りて、いづくとも知れず逃げてしまつた後でした。
「はてな、今の弾丸は確かにあたつた筈だが……」と独語を言ひながら与兵衛は樫の大木に近づきました。すると大きな猿が一疋、右の手で技を掴んで、ぶらりとぶら下つてゐました。与兵衛はすぐ鉄砲に弾丸を込めてその猿の右の手をうつたのでした。所が猿は、ばたりと下へ落ちて来ましたが、今度は左の手でまた別の枝を握つて、ぶらりとぶら下りました。
与兵衛は少し気味悪く思ひましたが、勇気を出して三発目に頭の後の方を射ち抜いたので、ドスン! と音がして、与兵衛の立つてゐた二間ばかり上の方へ、大きな親猿が血に塗れて落ちて来たのでした。
与兵衛は早速駈け上つて行つてその親猿の手をソツと掴んで下へ三尺ばかり引摺りますと、山の上の方から土瓶のまはり程の大きな石が、ゴロ/\と転つて来ました。
与兵衛は驚いて飛び退きながら見ますと、鉄砲の音に驚いて山の中へ逃げ込んで居た親猿小猿が出て来て、与兵衛に其の射殺された猿の死骸を渡すまいと思つて、石を転がしたのでした。それと知るや与兵衛は、腰に結んで居た細引で、射取つた猿を確と縛つて川岸の方へ引摺り下しました。
すると山の中…