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菠薐草
ほうれんそう |
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作品ID | 4519 |
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著者 | 長塚 節 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「長塚節全集 第二巻」 春陽堂書店 1977(昭和52)年1月31日 |
入力者 | 林幸雄 |
校正者 | 今井忠夫 |
公開 / 更新 | 2004-05-29 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 4 ページ(500字/頁で計算) |
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余が村の一族の間には近代美人が輩出した。それが余の母まで續いて居る。母をうんだおばあさんといふのは七十四になるがまだ至つて達者な人である。おばあさんの眉は美しかつたらうといふと、唯おまへの母の眉よりはよかつたといつては何時でもおばあさんは微笑する。此おばあさんの又おばあさんに當つたといふのが美人のはじめである。四十の歳から太り出したといふのでゆつたりと大きな躰であつた相だ。八十四までながらへた人なので余の母は知つて居る。此人に就いて噺があるのである。其夫になつた人は獵が好きで、鐵砲の上手な人で、春の麥畑へ鳩のおりたのを見掛けてエヘンと咳をすると鳩が驚いて首を擡げる、其刹那にドンと火葢を切るのに嘗て逸したことがないといふのであつた相だ。元來余が郷土といふのは江戸へ荷物を運ぶにも鬼怒川から船で下せば二日でとゞく。徒歩で行つても日のあるうちに千住へつく。蟲干の時などには今でも背中の所の擦れた道中合羽が出ることがあるが、其擦れたところは風呂敷包の痕で、そんなに荷物を背負つても一日には骨が折れなかつたといふ程江戸には近いのであつた。それでも猪や鹿が出沒して作物を荒すので櫓を掛けて猪を打たといふ時代もある。此枝へ吊るして鹿の皮を剥いだのだといふ澁柿の大木があつた。余が其柿の木を知つた頃は鹿を吊るしたといふ枝は梯子も屆かぬ程上の方であつた。其位だから其頃は若しも天象の變化があるとかどうとかいふと喧しい程雉子が鳴いたもので、豌豆畑へ行けば雉子の卵がいくらでも採れたといつてゐる。鐵砲の上手であつたといふのは其時代の人であつた。或時獵に出て娘を見初めて貰つて來たのだといふ。其が後のふとつたおばあさんである。
雉子や兎を追ひまはして喉が乾き切つた時に丁度林の中で一軒の家を見つけた。家といふのは固より傾いた藁葺だ、表の柱と柱との間にはおろし戸が一枚づゝ卸してあるのでなかは薄闇い。一杯の茶を乞ふ爲めに頭巾をとつてくゞり戸を開けた。此人が稀な美男であつた相だ。其時に茶釜から茶を汲んで呉れたのが若い娘であつた。茶釜には番茶を詰めた布袋が入れてあるので、ぬるいばかり何時でも眞赤に澁の樣な茶が出て居るのである。其茶を五郎八茶碗といふ大きな茶碗に汲んで、冠つて居た虱絞りの手拭を外して茶を出したのである。竹の簀の子が踏む度にぎしぎしと鳴る。其娘が思ひも掛けぬ美しさなので、只恍惚としてしまつてそれからといふものは獵といへば屹度娘の家をおとづれてさうして生涯の語らひが出來たのだとかういふ事であつたのだと想像して見た。おまへの母の眉よりはよかつたといつて微笑するおばあさんは當時のことを幾らか聞き知つて居るだらうと思ふが決して語つたことがない。それといふのは律義な人はかういふ成立ちの事柄をも一家の恥辱のやうに思つて居るからである。それ故其當時のことは自分で想像して見なければならぬ。只美男であつたとい…