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作品ID | 45217 |
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著者 | 牧野 信一 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「牧野信一全集第三巻」 筑摩書房 2002(平成14)年5月20日 |
初出 | 「中央公論 第四十二巻第三号」中央公論社、1927(昭和2)年3月1日 |
入力者 | 宮元淳一 |
校正者 | 小林繁雄 |
公開 / 更新 | 2006-06-20 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 43 ページ(500字/頁で計算) |
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一
百足凧――これは私達の幼時には毎年見物させられた珍らしくもなかつた凧である。当時は、大なり小なり大概の家にはこの百足の姿に擬した凧が大切に保存されてゐた。私の生家にも前代から持ち伝へられたといふ三間ばかりの長さのある百足凧があつた。この大きさでは自慢にはならなかつた。小の部に属するものだつた。それだと云つても子供の慰み物ではない。子供などは手を触れることさへも許されなかつたのだ。端午の節句には三人の人手をかりて厳かな凧上げ式を挙行したものである。――因縁も伝説も迷信も、そして何として風習であつたのかといふことも私は、凧に就いては聞き洩したので今でも何らの知識はない。花々しい凧上げの日の記憶が、たゞ漠然と残つてゐるばかりである。それにしてもあれ程凄まじかつた伝来の流行が、今はもう全くの昔の夢になつたのかと思ふと若い私は可怪しな気がする。
「ほう! そんな凧が流行したことがあつたのかね、この辺で――」
故郷の同じ町にゐる私と同年の青年ですら、私が一寸した興味から詳しいことを知りたくなつて凧のことを訊ねたら、反つて私が法螺でも吹いてゐるんぢやないかといふ風に空々し気な眼を輝かせてゐた。「ほんの一部分の風習だつたのだらうね。それが子供の君の眼には世界中のお祭りのやうに映つたのさ。君の子供の頃まで、それ程にも未開な区域が残つてゐたのかねえ。」
「B村には僕の親類があつたのだが、あの村などは一層烈しかつたぜ。僕は祖母や母に伴れられて遥々と凧見物に出かけたものだ。」
「B村と云へば、あの村は中央電車鉄道に買収されて、電車道になつてしまつたな。」
「B村が!」と私は叫んだ。
「あれを知らないの? 今は家なんて一軒もあるまい。B村なんて名称も残つてゐるかどうか。」
「そんなことはない。吾家の知合ひの青野家はちやんとある。悴のFとは今でも僕は文通してゐるんだもの。」
「一軒位ゐはあるかも知れんな。」
「百足凧といふのは――」と私は、こゝで何やら感慨深さうに首を振つたが、煩瑣を忍んで、曖昧ながらにでも此方が凧の構造を説明しなければならなかつた。
凧だから勿論竹の骨に紙を貼つたものである。巨大な百足なのだ。大団扇のやうに細竹を輪にして、さうだ、丁度ピヱロオが飛び出す紙貼りの輪だ。之を百足の節足の数と同じく四十二枚、それには両端に竹の脚がついてゐる、つまり団扇の柄が上下についてゐるやうなものである。その脚の尖端には夫々一束の棕梠の毛が爪の代りに結びつけてある。この四十二枚の胴片はその左右の脚を、夫々均等の間隔を保つて二条の糸でつなぎ合せるのだ。だから胴片は水平にひら/\とする。尾は、主に銀色で長く二つに岐れてゐる。頭には金色の眼球が風車の仕かけになつて取りつけてあるから、らん/\と陽に映えるのである。房々と風になびく巨大な鬚は、馬の尻尾を引きぬいて結びつけたもの…