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西部劇通信
せいぶげきつうしん
作品ID45218
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第三巻」 筑摩書房
2002(平成14)年5月20日
初出「時事新報 第一六七八三号~第一六七八七号」(第一六七八六号は休載)1930(昭和5)年3月5~9日(8日は休載)
入力者宮元淳一
校正者砂場清隆
公開 / 更新2008-06-13 / 2016-05-09
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

(都の友に贈つた手紙)
 この写真を御覧――。
 一見すると、まさにアメリカ・インデアンの屯所と見られるだらうが、好く好く見ると僕をはぢめいろいろ君の知つてゐる顔であることに気づくだらう。僕等は此処に斯んな小屋がけをしておいて、月の凡そ半分を村の仮宿から此処に移つて奇体な原始生活を営むのだ。
 この小屋の傍らには綺麗な小川が流れて居り、この辺一帯は至極日あたりのなだらかな丘なのだ。そして、この丘の向ひ側は森林地帯で、三軒の炭焼小屋があり、その長閑な煙りが絶間もなく此処からでも眺められるのだよ。
 それから、ちよいと此の衣裳に就いての話に移らなければならないのだが、村に来てからは或る止むを得ない都合から僕が一着持つてゐた斯んなアメリカ・インデアンの衣裳をつけて僕はそれを外出着にも、平常着にも、仕事着にもして、稀な具合の好さを感じてゐたが、更に斯うして森林に踏み入るに及んで見ると、僕達にとつてこの服装は海底作業家にとつての潜水服と同様なものになつたのである。つい此間の晩も、この焚火を囲んでさまざまな衣裳哲学論に花を咲かせたりしたが、今や僕等はこの衣裳形式に統一されて凡ゆる活動の腕をのばしてゐるのさ。この鳥の羽根のついた冠りなども僕は前にはたゞの伊達な飾りものかと思つてゐたが、斯うして使用して見ると到底口では述べきれぬくらゐに繊細な役立をするのが解つたよ。何事も、あたつて見なければ解らぬな。妙だ。
 それよりも僕がはぢめて、この原始人の衣裳を身につけて、この村に乗り込んで来た当初の一エピソードを知らさう。――僕は買物に出かけるにも、居酒屋に現れるにしても、もとよりこれより他に何んなキモノも持ち合さぬのだから、平気さうな顔をしてのこのこと歩いて行くのだが、意外なことには誰一人嘲笑の眼を向ける者もゐないのだ。それどころか、僕等を都から来てゐる一団と思つてゐるらしい村人達は、これが近頃都の流行の尖端を切るいでたちなのか! シツク・スタイルとは、あれか! おゝ、都の人達は近頃あんな身装で、あんな歌をうたひ(君も知つてゐるだらう、僕は稍ともすればナンシー・リーとか、リング・リング・ド・バンヂヨウとかなどゝいふおそろしく古めかしい唱歌を恰も今日の流行小唄でゞもあるかのやうに鼻にかゝつた音声で口吟む習慣を――加けに、田舎だから、田甫道などに来かゝると、川向ひの野良で仕事をしてゐる人達の耳にまでも響くほどの誰憚からぬ大声をあげて歌ひ歩くのだ。)――あんな風に面白気に風を切つて銀座通りを押し歩いてゐるのか? あんな歩き振りを称してギンブラとかと云ふのか? あれがモダン何とかとでも云ふのであらうか?――。
 そんな風に思ひ違へてしまつて、熱く憧れの眼を輝かすに至つたのである。左う斯うするうちに、或日のこと、Eといふ水車小屋の若者が思ひ切つて、おそる/\僕の袖を捉へて、実はこの間東京の…

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