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松虫草
まつむしそう
作品ID4522
著者長塚 節
文字遣い旧字旧仮名
底本 「長塚節全集 第二巻」 春陽堂書店
1977(昭和52)年1月31日
入力者林幸雄
校正者今井忠夫
公開 / 更新2004-05-29 / 2014-09-18
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

         一

 泉州の堺から東へ田圃を越えるとそこに三つの山陵がある。中央の山陵は杉の木が一杯に掩うて蔚然と小山のやうである。此が人工で成つたとは思はれぬ程壯大な形である。土地は百舌鳥の耳原であるから百舌鳥の耳原の中の陵というて居るのである。山陵のめぐりは畑で豆や稗や粟が作つてある。豆の葉は黄ばんで稗や粟の穗が傾いて居る。そこらあたりには芒が一簇二簇ところどころに茂つて、出たばかりの薄赤い穗が鮮かである。遠く西方を見渡すと此所からでは低く青田が連つて青田の先はすぐに茅淳の海である。海は日の射し加減で只しら/\と見える。ゆつたり横はつて居る淡路島が手もとゞき相である。其海から青田を越えて吹きおくる凉風がさわ/\と其芒の穗を吹き靡ける。芒の穗は靡いては起きあがり/\吹かれて居る。余は其のあたりに[#挿絵]徊して居ると青草の茂つた南の山陵の蔭から白い笠の百姓の女らしいのが七八人連れ立つて余の立つて居る方へ近づく。能く見ると女は皆爪折笠である。白い手拭をだらりと長く冠つて其上から笠の紐を結んで居る。衣物は皆紺の筒袖である。さうして孰れも卷いた蓙を左に抱へて居る。女共は山陵の濠のほとりを傳つて行く。濠は非常に長いので其ほとりを行く女共はだん/\小さくなる。余は其風情ある後姿を見おくりながらかういふ閑寂の境地に豆や稗を作つて居る百姓は幸であると思つた。山陵のある所から少し離れて坂がある。そこに一軒穢げな藁家の茶店がある。一簇の芒の穗がそこにも靡いて居る。あたりのさまと相俟つて此の茶店も余が心を惹いた。汲んでくれた茶を啜つて女房と噺をする。女房は山陵のあるあたりは百舌鳥の耳原ではなくて舳の松といふ村だと打ち消すやうにいつた。女房は現在のことより外は知らぬのである。店先には小さな薄板に下手なしかも大きな字で大寺餅ありと書いてある。皿には三角な黄粉餅を三つ刺した串が一串置いてある。此が大寺餅といふのかと聞くと今日はもう一串に成つてしまつたといつて女房の語る所に依れば、堺の町の大寺といふ寺の境内にある餅屋から此餅は卸すので、遠く和歌山の方までも卸しをする餅である。いつでも四五人位で米を搗いて居る。此の土用の何の日とかには一日に廿三石何斗とかいふ餅を搗き出した。それで搗く側からさつさと小商人へ捌けてしまふ。先づ日本一の餅屋だらうといふのであつた。余は此を聞いて是非共其の餅屋が見たいと思つたので其店先の一串をたべて堺の町へもどつた。大阪へ歸る筈のを停車場へは行かずに町をぶら/\と歩いた。一人の車夫が案内をしながらどうとかいつたので遂うつかり乘せられた。車夫は威勢よく馳せる。やがて大和川のほとりへ出て人家は盡きた。大和川の土手には緑樹が茂つて其蔭に牛が繋いである。余は大寺餅といふのはどこかといつたらそれは堺の町でもう遙かに後になつてしまつたと橋の上に車を止めて後を向きながら…

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