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旅の日記
たびのにっき
作品ID4523
著者長塚 節
文字遣い旧字旧仮名
底本 「長塚節全集 第二巻」 春陽堂書店
1977(昭和52)年1月31日
入力者林幸雄
校正者今井忠夫
公開 / 更新2004-05-29 / 2014-09-18
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

      一

 九月一日
 金華山から山雉の渡しを鮎川の港までもどつた。汽船で塩竈へ歸らうとしたのである。大分まだ時刻があつたので或旅人宿の一間で待つことにした。宿には二階がある。然し其案内されたのは表の店からつゞいた二間のうちの一間である。他の一間には宿の娘らしい紺飛白の衣物を着た十六七の子が針仕事をして居るのであつた。余は旅裝がみすぼらしいので何處の宿でも屹度待遇は疎末なのである。それでも余の座敷だけは店先からは見えぬやうになつて居る。店先ではとんとんと杵の音がする。余が表の障子をあけて此宿へはひつた時に其障子の蔭で宿の女房らしい女が肌衣一つで下女らしい女を相手に笄のやうな形の丸い杵を持つて小さな臼で白い粉を搗いて居たのである。余は草鞋を解きながらそれはどうするのかと聞くと明日は盆だから佛へ供へる團子にするので米をうるかして置いて搗くのだと其の笄のやうな形の杵を交る/\に打ちおろして居た。其杵の音が聞えるのである。余は座敷へ案内されてからもうるかすといふことが解釋に苦んだ。丁度針仕事をして居る娘は閾一つ隔てたのみであるから娘に聞いて見たらそれは水へ浸しておくといふことなのであつた。顏をあげた所を見ると娘はどことなくぼんやりと冴えないものゝやうである。然し其時はさう思つたまで[#「まで」は底本では「まて」]ゞ別に氣にも止めなかつた。其内に今日は塩竈行の汽船は來ないといふ知せがあつた。殘念だがこゝへどうでも泊らなければならぬことに成つてしまつた。余は鉛筆と手帳とをいぢつて見たが退屈したので新聞を貸してくれといつたら娘は仙臺の河北新報といふのを二三日分持つて來てくれた。それが如何にもはき/\としない態度である。碌に見る所もない新聞だからぢきに不用になつた。それから荷物を枕にして横になつて見た。先刻から茶碗でも茶菓子でも一杯になつて甞めずりまはつて居た蠅が五月蠅く顏をはひまはる。荷物の風呂敷で顏を掩うた。さうして居ると襯衣がひどくしめつぽく不快に感じ出した。かた/″\心持が落付かぬので到底眠ることが出來ない。風呂敷をとつて起きて見ると娘はいつかこちら向になつて肘を枕に横臥して居る。どうしても大儀相な容子である。娘はやがて仕事を捨てゝ去つた。余は娘の仕事をして居た座敷が明るいので座敷をとりかへることにしてもらつた。余は又横に成つてごろ/\して居ると何時の間にか娘はまた余がさつきの座敷の襖の蔭に横になつて居る。粉を舂いて居たのは娘の母と見えてそこへ括り枕を持つて來てそつと掻卷を掛けてやつた。銀杏返しに結つた娘の髮が開け放つた襖の蔭から少し出てすぐ余が眼の前にこちらを向いて居る。盆が來るといふので母が結うてやつたのであらうか油がつや/\として居る。余は此は病身な娘で仕事でも何でも只氣任せにして置くのだらうと思ふとひどく哀れになつて時々娘を見るといつもぢつとして日の…

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