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白瓜と青瓜
しろうりとあおうり
作品ID4525
著者長塚 節
文字遣い旧字旧仮名
底本 「長塚節全集 第二巻」 春陽堂書店
1977(昭和52)年1月31日
入力者林幸雄
校正者今井忠夫
公開 / 更新2004-05-27 / 2014-09-18
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 庄次は小作人の子でありました。彼の家は土着の百姓であります。勿論百姓といふものが一旦落ちついた自分の土地を離れて彷徨ふといふことはよく/\の事情が起らない限りは決してないことであります。自分に土地を所有する力の無いものは他の土地を借りて作物を仕付ます。そして相應に定められた金錢や又は米や麥の收獲の一部を地主へ納めるのであります。此が小作料であつて、私の間に授受されて居る租税であります。それで小作人の懷にする處は其の收獲のうちから自分の食料までも減じて見ると、立派な體格を有つた一人の働きが實際何程にも當らないのであります。然し彼等は四季を通じて殆んど田畑の仕事にばかり屈託して居るのですから衣類の節約が極端に行はれて居ます。それから食料というても、第一には鹽を買ふ外には自分の手で作つた物で十分に滿足することが出來ます。それからどんな姿にでも雨戸が有れば住むに事を缺くことはないのであります。
 恁んな状態でありますから消極的な身の持方をして居れば案外に苦勞のない生活がして行けるのであります。彼等には幸にも非望を懷くものはありません。彼等の身體が鍛錬された鐵のやうである如く、彼等の心にも頑強な或物があつて彼等を抑制して居て呉れるのであります。
 庄次も恁ういふ小作人の仲間で殊に心掛の慥な人間でありました。彼の老つた父は毎年夏の仕事には屹度一枚の瓜畑を作りました。其の畑からの收益で一年間の家内の小遣錢に充てるのが例でありました。固より面倒な丹精が要る代りには蔬菜の栽培程百姓の仕事として利益なものはないのであります。其内でも瓜類の栽培は又格別なものであります。前の年の秋からの心掛で麥の間には瓜の種を蒔きつける場所をぽつ/\とあけて置きます。爽かな凉しい風が麥の軟い穗先を吹いて、空氣にも土にも潤ひを帶びて來ると、庄次の家の瓜の種も麥の明間へ二葉を開いて來ます。段々眞直に射し掛ける日光が十分の熱度を與へてくれますし麥はまた周圍から大切に保護してくれます。それでも非常に敏い赤蠅がそつと來ては軟かな子葉を舐め減すので、爺さんの苦心は容易ではありません。虫を除ける爲に瓜の葉へ灰を掛けて遣つたり、幾度か失敗しつゝ敏捷な蠅を殺したりしてやるのであります。
 麥が刈られると周圍はからりとして如何にも晴々とした心持で、瓜の蔓が威勢よくずん/\と伸びて行きます。蔓の先は軟かでそしてすつと頭を擡げて居る處が、見るから心持のいゝものであります。然しそれでも十分監督がないと赤蠅は依然舐めて畢はうとするのであります。瓜の蔓に處々へ開いて行く葉の間から小さな花がぽつ/\と見える頃になれば、瓜畑はもうだん/\心配がありません。
 麥藁が一杯に敷かれて蔓は其褥を這うて居ます。殊に威勢のいゝのは西瓜の蔓で唐草模樣の樣な葉を一杯に開きます。小粒の實が初めは然程にもないのに、少し大きく成つたかと思ふと一夜の…

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