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波の戯れ
なみのたわむれ |
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作品ID | 45290 |
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著者 | 牧野 信一 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「牧野信一全集第三巻」 筑摩書房 2002(平成14)年5月20日 |
初出 | 「創作月刊」文藝春秋社、1928(昭和3)年4月1日 |
入力者 | 宮元淳一 |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2010-08-10 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
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春、二三日のこと
春だつた――といふだけのことである。そんな日を特に選んで誌したといふわけではない。日誌を誌す要に迫られて、いきなり、その日のことを書き誌したものに過ぎない。だが、日が経つて、再びそんな稿を翻して見ると、無意識なる、凡々たる日録のうちにも、何か、再び廻り合せぬかの如き心の媚惑と、「物質の鉄則から釈放されたる宇宙」に向つての止め度もなき霊の推進器の飽くなき回転の響きを耳にする思ひがする、たゞ、それが春であつたがために――あゝ、わたしは、今日! 一体、これは何時の年の春だつたかしら?
(July 1930)
―――――――――
机に頬杖をして、ぼんやりしてゐると眼の前の腰窓がそつと開いて、冬子の顔が現れた。
「兄さんを知らない?」
「寝てゐるよ。」
私は左手の襖を指さした。
「兄さん!」
冬子の疳高い声が隣りの部屋に聞えた。
――縁側に立つてゐるのらしい。
「兄さん!」
「…………」
「用があるのよ。――もう直ぐにお午だつてえば! ――嘘つき! 不眠症だなんて――」
「…………」
暫くたつて、襖をあけてDが私に訊ねた。
「冬子はもう帰つたか知ら?」
「用があると云つてゐたらしかつたぜ。」
Dは双眼鏡を手にして、窓枠に昇つて海辺を見渡した。
「居る/\、あんなところに――」
私も見ると冬子は、無帽の洋服を着た青年と砂地に腰を降して並んでゐる。
「Yだらう、あれは?」
「うむ!」
とDは頬笑んだ。
頭から毛布をかむつてDと私は縁側に日向ぼつこをしながら、互ひに分別あり気な会話をとり交した。
「Sちやん、何うしたら好いだらうね、若し冬子がYと結婚する気だつたら?」
「冬ちやんが君にそういふ許しを乞ふのか?」
「……逃げてゐると云つては気の毒だけれど、俺だつて、実際、返事の仕様もないんでね、俺が若し反対すれば彼奴は直ぐにでも白々しくなれるといふ風な質だからね。」
「それで君は反対したいのか?」
「馬鹿! 俺にそれ程の積極性があれば何の苦労もないんだよ。」
「…………」
私は息詰つて、あかくなつた。そして、鏡を見入るやうに手の平を瞶めた。
私が、海辺の書斎へ行かないで昼寝をしてゐると、Dが来て散歩に誘つた。
「仕事は何うなの?」
「また途中で嫌になつてしまつてね。」
私が町中を歩くのを嫌がると、Dは、電車に乗つて吾家へ行かうとすゝめた。私は、通りがゝりの書店で金を借りて自動車で行くことにした。麗かな日和であつた。私は、もう屹度菜の花が咲いてゐるに違ひない畑の間を、Dの村へ行く一直線の街道を、疾走する快を想つたのである。
「俺はもう一週間も帰らなかつたよ。」
「何処に居たのさ?」
「君の、むかうの部屋に寝たり……」
「ずつと!」
「東京にも行つてゐたが……」――「君の洋服を着て行つたぜ、少し窮屈だつたが。――どうも冬子…