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ビルヂングと月
ビルジングとつき
作品ID45297
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第三巻」 筑摩書房
2002(平成14)年5月20日
初出「東京朝日新聞 第一五八一〇号」1930(昭和5)年5月10日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-08-14 / 2014-09-21
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 酒が宴の途中で切れると、登山嚢を背にして、馬を借りだし、峠を越えて村の宿場まで赴かなければならない。――私達はついこの間うちまで、そんな山中の森かげでたくましい原始生活を営んでゐた。冬のはじめから春にかけての一冬であつた。
 今、私は都の中央公園の程ちかくにあるアパートの六階の一室で、窓から満月を眺めながら四五人の友達と雑談に耽つてゐる。
「が、何時も僕は運が好くて、その使ひ番が当つたのは、たつた一度しかなかつたよ、その一冬の間で――」
 などと私は語つた。カードをまき、スペキユレイシヨンをとつた者が使ひに行くことにきまつてゐる。
 その、たつた一度私がスペキユレイシヨンを引いてしまつた晩の話――。
 臆病な私は脚のすくむ思ひがし、胸の鼓動があたかもそれまで休止してゐた時計が急に活動をはじめたかのやうに鳴りだし、酔ひは頭の一隅に固くたゝずんでしまつた。私は次の間に行つて支度をし終はると、卓子の抽出から怖ろしく古風な大型のピストルをとりだして秘かに腰にはさんだ。――このピストルは、こんな愚かな経歴を持つてゐる。私達がこの生活を始める時に、起床の合図、飯の合図などのためにこれで空砲を放つことにしよう、われ/\は朝は一勢に起き出でて一勢に朝食の用意にとりかゝらなければならない、そして健やかな一日のために、健やかな出発をしなければならない――と私が提言して、これを携へて来たのであるが、毎朝々々いとも景気好くポンポンとこれを打ち鳴らして勢ぞろひの役に立てたのは好かつたが、この音のために、あたりの森に住んでゐる鳥類が驚きの叫びを挙げて四散し去り――Hと称ふ鉄砲の名手が私達の仲間に居て、
「真に朝飯前に僕は五六羽を打ち落し、朝食には山鳥のロースト、夕食にはきじの何とかといふ工合に、とても豊満な大皿を日毎諸君にすゝめて、僕の力できつと諸君を肥らせてやるよ。」
「Hの腕なら頼もしいな。僕達はきつと町にゐる時の何倍もの美食にふけることが出来るだらう! 愉快だ、愉快だ!」
 などと喜んでゐたのが、どんなにHが夢中になつて森の中を駆け回つても、山に来て以来ヒヨ鳥を二羽落した以外に何の獲物も得られなくなつてしまつたのである。そればかりか、一同は悲しさうにうつむいていもばかりを幾日間といふもの食べ続けて、猛烈な胸ヤケに襲はれ、谷川の水をガブ/\と飲んでは胸をさすり、また腹痛を起す者さへ出来て、終ひには、あんな提言をした私に向つてのろひをふくむ眼を示す者さへ現れたのであつた。
 で私も、幾分機嫌を損じてある晩、そんなにあのピストルばかりのせゐにするにも当るまい、おそらくHの腕だつて彼自身が誇る程の見事さではないのだらう、一体に自ら己れを誇る者の多くは、その真実の力において誇りに匹敵しないといふのが常例ぢやなからうかね――といふやうなことを、横に向いて不足さうにうなると、Hは非常に腹をた…

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