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旧聞日本橋
きゅうぶんにほんばし
作品ID4532
副題06 古屋島七兵衛
06 ふるやしましちべえ
著者長谷川 時雨
文字遣い新字新仮名
底本 「旧聞日本橋」 岩波文庫、岩波書店
1983(昭和58)年8月16日
入力者門田裕志
校正者小林繁雄
公開 / 更新2003-05-27 / 2014-09-17
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 古屋島という名は昔の武者にでもありそうだし、明治維新後の顕官の姓名にもありそうだが、七兵衛さんというと大変心安だてにきこえる。葱を売りにくる人にも、肥とろやさんにも、薪屋さんにもありそうな名だ。この名を覚えているのは、あたしの家の書生さんだったから――というより、道十郎めっかちを思いださせる顔だったからだ。
 道十郎めっかちというのは、キシャゴの遊びで、つぶの大きなキシャゴを二つもって、上からふると、片っぽひっくりかえって、貝殻の背でない方を出す、それが道十郎めっかちで、なんのためにそういう名がついているのか知らない。それとも江戸から続いて有名な役者市川団十郎の代々が、大きな眼玉で通っているので、片っぽひっくりかえって団十郎めっかちが転化したものかどうか、それとも他に由縁があるのか知らない。
 それはどうでも好いとして、古屋島氏の顔に、汚ないキシャゴの道十郎めっかちがついているのだった。おまけにそれがばかに大きい。濁って、ポカンと開いた黄色い中に、眼球が輝きもなく一ぱいに据って動かずにいる。盤台面で、色が黄ばんだ白さで、鼻が妙に大きい。ザンギリで、下を向いていて、ヘエ、サヨサヨという時だけ眼球を上にあげる。
 書生さんといったからとて、五十近かったかもしれない。黒い前掛けをしめて、角帯に矢立をさしている時もあった。
「あれはなんなの?」
 アンポンタンがそう訊いたことがある。
「あの人は公事師といって、訴訟がすきで――三百代言……」
 アンポンタンは子供心にこう理解した。代言人のとこへくるから三百代言?
 三百人は来はしないが、そういう通いの書生さんは大勢来た。よく考えて見ると、自分たちの手におえなくなったものを担ぎ込んできて、便宜上、先生先生とやって来たものと見える。そのうちに、小さな仕事――差押え解除だとか、書翰の写しだとか、公判の延期だとか、相当の用をもらって、彼らはもぐりでなく、大手を振って裁判所に出入する特権を、幼くもよろこんだのであろう。
 日本橋区馬喰町の裏に郡代とよぶ土地があって、楊弓や吹矢の店が連なった盛り場だったが、徳川幕府の時世に、代官のある土地の争いや、旗本の知行地での訴訟は、この郡代へ訴えたものとかで、その加減かどうか、馬喰町には大きな旅籠屋が多く残っていた。おかしなことに、古屋島七兵衛さんは、郡代の裏の、ずっと神田の附木店によった方の、小いっぽけな、みすぼらしい木賃のような宿屋の御亭主であった。
 ある日、眉のあとの青いおかみさんが女の子を連れて来て、祖母にボソボソ言っていたが、またあとから白髪の黄ろいのを振りこぼしたお媼さんが来た。二人はシメジメと呟き訴えていたが――道十郎めっかち氏が浮気をしているのだと――其処へヒョッコリ七兵衛氏が帰って来たので稼業にせいを出さなければいけないと祖母に意見され、ヘエ、サヨサヨ、ヘエ、サヨサヨ…

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