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サロメと体操
サロメとたいそう
作品ID45334
副題ヘツペル先生との挿話
ヘッペルせんせいとのそうわ
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第五巻」 筑摩書房
2002(平成14)年7月20日
初出「大阪朝日新聞 第一八四二四号」大阪朝日新聞社、1933(昭和8)年2月19日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-11-16 / 2014-09-21
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 学生であつた私は春の休暇で故郷の町に帰つてゐたが、うちでは勉強が出来ないと称して二三駅離れた海辺の村へ逃れてたつた独りで暮してゐた。そしてヘツペル先生へ長い手紙ばかりを書いてゐた。主に象徴的な文字で架空的な悩みを訴へるのであつた。間もなく先生からの便りで、わたしも君と共々に清澄な田園で祈りの生活を送りたいから適当な部屋を探して欲しいといつて寄こした。先生は最も敬虔なロマン・カトリツク教徒で、明快なる独身主義者であつた。私は東京の大学生である傍ら、横浜にあつた先生の私塾の語学の弟子であつた。たしか先生はそのころ四十五歳だと申されてゐたと思ふ。
 夕暮時に私が、先生のその手紙を読んで泉水の傍らで腕組みをしてゐると、
「丁字の香ひが大変ね!」
 と呟きながら、満里子が慌しい靴音をたてゝ石段を登つて来た。――「妾も今日からこゝの部屋を借りて、此方で勉強することにしたのよ。いいでせう?」
「いけないといつたら帰るかへ?」
「何いつてんのさ、あんたの勉強なんて何うせ小説を読む位ゐのものぢやないの、いくら気六かしさうな顔をしたつて平ちやらだ。」
 別段に交際といふほどのこともなかつたが幼い時分からの習慣で、何んな類ひの私達の往来でもどちらかのうちの誰でもが気にもしなかつたのであるが、そしてまた私達にしろ平気であつたのだが、仔細に考へて見ると私だけがいつの間にか彼女からとりどりの憂鬱を感ずるやうに変つたらしく、どうやら私の厭世思想も因をたゞせば至極簡単に変則な「片恋ひ」の上にかゝつてゐるらしかつた。恋してゐるのかと思へば気も狂はんばかりに満里子が恋しくなるのだが、顔さへ見なければ、今帰つたばかりの彼女の顔がもう思ひ出せないといふ風な白々しさで、その癖無闇に漠然と切なく恋しく――私は、自分のそんな痴想を堕落と考へて、真夜中になるとほんたうに涙を滾した。私にそんなに突飛な憂鬱が襲つてゐるといふことを夢にも気づかぬために満里子は、そんなに無邪気なのか、それとも誰に対してもさういふ性質なのか――などゝ私は頗る真面目に考へて「つまりあゝいふ風な女性を娼婦型とかヴンプ型とか称ふのであらうか?」
 決してそんな大した型であるはずもなかつたのであるが、その時は私は切なくそんなことを呟いで「さういふ女性は凡そ自分には縁なきものであればあるだけ魅力が怖ろしい。」
 私は唇を噛んで、首を振りながら孤りの村へ遁走したのであつた。まつたく、いつの間にかしらそんな憂鬱病を胸底深く掻き抱くやうになつてゐる私とは露知らずに、例へば満里子は至極淡白な態度で、私がぼんやりしてゐると後ろから目を覆つて頬ずりをしたり、さうかと思ふと靴下止めが痛くなつたから直して呉れなどと申し出たり、どうかすると悪ふざけが昂じて一処に寝ようよなどと騒いで、非常に朝寝坊な私の部屋へ飛び込んで来て、彼女の方は大童なのだが、私が辟易す…

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