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フアウスト
ファウスト
作品ID45336
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第五巻」 筑摩書房
2002(平成14)年7月20日
初出「モダン日本 第五巻第四号」文藝春秋社、1934(昭和9)年4月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-11-07 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 博士フアウストは、哲学、医学、法律、神学その他あらゆる学問といふ学問を研究し尽してしまつて、もうその他には何もないのか? とおもふと、急にがつかりして、死んでしまはうと決心しました。ところへメフイストといふ悪魔が現れて、女道楽をすゝめます。なるほどそいつは気がつかなかつた! と博士は死ぬのを見合せて町へ出ると、一人の娘を見るがいなや即座に魂を奪はれました。マルガレツテといふ帽子店の売子で十七歳の娘です。恰度娘は教会から出て来るところで、あのやうな美しい娘に僧侶は何を悔ひ改めさせたのか? と博士は訝ります。
 美しい首飾、耳環、腕輪――やはり娘を誘惑するには、これ以外のものはなからうといふメフイストのはからひで、二人は大急ぎでそれらのものを整へると、メフイストがそつと娘の部屋へ忍び込んで、娘の鏡台の傍らに宝石の箱を置いて来ます。やがて娘は外から戻つて来て、不思議な箱に気づくと恐ろしさうに戦いてゐましたが見れば見る程立派やかな宝石類に誘惑を覚えはじめます。
「せめてこの耳環だけでも妾のものだつたら妾は何んなに幸せだらう。若くて美しいだけでは悲しいのよ。美しいといふことは幸せでも、身装が見すぼらしかつたら台なしだわ、可愛いの何のと讚める人があつたつて、それは半分憐れみの言葉ぢやないか、何から何まで世間はお金、ほんとうに貧乏ぢや仕方がないな……」
 マルガレツテは沁々と斯んなことを呟き、そつと首飾を執りあげると、胸におしあてゝ羨ましさうに鏡の中を覗きました。メフイストはこの様子を眺めて、しめたぞ……と点頭きます。可憐な娘が、先づもつて悪魔の誘ひに陥らうとする発端です。
 娘の気分がもう少し浮つくのを待つて甘い囁きをおくらうと尚もメフイストが物蔭で息を殺してゐると、隣家の未亡人が一人の僧侶を伴ふて娘の部屋に這入つて来ます。そして、宝石の箱を見ると仰天して、これは屹度神様がお前の罪を試さうと思召しておつかはせになつたものに違ひないから、早速神様の御許へお返し申してお祈りしなければならないと僧侶と共々に促します。
 メフイストは折角の瀬戸際で出し抜かれて地団太を踏みます。そしてフアウストの処へ立戻ると、
「俺が若し悪魔でなかつたら、悪魔になつてやりたいところだ!」
 と口惜しがります。「坊主の奴、天の報酬を待つが好からうなどゝ、唸りながら、無造作に自分の衣兜へ蔵ひ込んでしまやがつた。」
 フアウストは悪魔の口惜しがるのに頓着もなく「そしてマルガレツテの様子は何んなあんばいだね。」と心配します。
「毎日鬱ぎ込んで途方に暮れてゐる様子です。然しあの宝物の送り主に就いては、一層の想ひを寄せてゐるかに見うけられますな。」
「恋人の悲しみは僕を悩殺するぞ。早う/\次の一組を探して彼女へ贈らねばならない。」
 メフイストは博士の騒ぎを秘かに嘲笑して「恋の亡者奴、日月星辰も吹き飛して…

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