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随筆 藪柑子
ずいひつ やぶこうじ |
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作品ID | 45338 |
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副題 | 02 随筆 藪柑子 02 ずいひつ やぶこうじ |
著者 | 土井 八枝 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「隨筆 藪柑子」 長崎書店 1940(昭和15)年12月30日 |
入力者 | 岡山勝美 |
校正者 | Juki、門田裕志 |
公開 / 更新 | 2017-02-21 / 2017-01-20 |
長さの目安 | 約 195 ページ(500字/頁で計算) |
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序
「仙臺の方言」と「土佐の方言」へはそれぞれ斯道の大家の序を頂戴したが、今度の隨筆集の序はどなたに御願ひしようかと出版者に相談した處、御良人がいゝでせうと曰はれました、どうかよろしくとの申出である。一寸考へた、亡妻を褒める文(蘇東坡の如き)はある、妹の詩集や遺稿への序(袁子才の如き)はあるが、現に生きて居る女房の文集に序を書いた例は見た事がない。「涵芬樓古今文鈔」の中、序跋は十二册に亘り五六百篇もあるが、こゝにも一篇も無い。しかし若い昔の、はにかみ勝ちの自分でもない、先例がないからとて止めるにも當るまいと考へて筆を執る。
此書に收めてあるものゝ中、若干はすでに種々の雜誌に載つたものであるが、亡兒の思ひ出の若干部分は全く新たの執筆で、私にとつては最も感慨の深いものである。子を失ふといふ人世無上の慘苦を味つた方々へ多少の慰安となるかも知れぬ。
「掃除や洗濯のひま/\に襷をはづして、遂にかやうな詰らぬものを書いた」とは、此著者が大正八年に出版した「仙臺方言集」の跋文の一節であるが、此書も同樣に家事の片手間に成つたものである事は曰ふ迄もない。家庭の主婦としてどれ程内助の功があるかは別問題だが、少くも内妨の害だけは無かつた事をこゝに保證して筆を擱く。
昭和十五年十月
土井晩翠
[#改丁]
藪柑子物語
私は四五年前から發心して、折々繪筆を取る、そして特に藪柑子を描く。本書の扉の未熟な繪を見られる方々は、私の押しの強さに驚かれるであらう。實は私自身でさへおどろいて居る。
今私が繪をかき初めた其動機を次に述べる。昭和九年の秋、我國方言學の權威東條先生の御勸めもあつて、私は故郷の土佐の方言を蒐集する爲めに、四十日程高知市に滯在した。其折主人が第二高等學校の校命で大阪及び高知の高等學校視察に來た。私の母校高知第一高等女學校が校歌作成を依頼中であるので、其を機會に生徒の爲めに一場の講演を主人に依頼した。
十一月十日定刻に主人が校長に導かれて講堂に入る時、私も續かうとした、其時思ひがけもなく主人が振り返つて、
『何も特別な話をするのでもない、發音の正しい高知で、わざ/\ズー/\辯を聞く事もあるまい』
といふ、『私に講堂に入るな』の意である。勿論笑談の口調で云ふのだから關はずに入らうかとも考へたが、素直に其言葉に從つた方がよいと咄嗟に思ひかへして私は直に外に出た。
校庭には人の影もない、私は其靜かな校庭のあちらこちらを見廻した。一隅に職員生徒の丹精であらう、可成ひろい菊畠があるのを見附けた。私はそこへ歩み寄つて其花のゆかしい薫りととり/″\の色と姿にうつとりと見入つた。
少時して我にかへつた私は、今夫が我が母校の愛する生徒に對して話をして居る此時、ぼんやり菊を眺めて時間を過しては濟まないと氣がついて、急いで講堂入口に歸ると、室外に聲が洩れて、丁度校長の紹介が…