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旧聞日本橋
きゅうぶんにほんばし
作品ID4535
副題08 木魚の顔
08 もくぎょのかお
著者長谷川 時雨
文字遣い新字新仮名
底本 「旧聞日本橋」 岩波文庫、岩波書店
1983(昭和58)年8月16日
入力者門田裕志
校正者松永正敏
公開 / 更新2003-07-17 / 2014-09-17
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 鼠小僧の住んでいた、三光新道のクダリに、三光稲荷のあったことを書きおとした。三光稲荷は失走人の足止の願がけと、鼠をとる猫の行衛不明の訴をきく不思議な商業のお稲荷さんで、猫の絵馬が沢山かかっていた。霊験いやちこであったと見え、たま、五郎、白、ゆき、なぞの年月や、失走時や、猫姿を白紙に書いて張りつけてあった。その近くに鼠小僧の隠れ家があったわけになる。
 油町あたりの呉服商の細君であった祖母が、鼠小僧の人柄なぞをどうして知っていたのかと思ったら、そのころ祖母夫婦は、楽屋新道――葺屋町、堺町、などの芝居に近い――の附近に住っていた。場処がらで気らくに暮していたと見え、近所の岡っ引の細君と仲をよくしていたという。自然そんなことから鼠小僧の引廻しも見たのであろう。

 七ツのアンポンタンに、九ツのアンポンタンに、十一、十二のアンポンタンにおぼろげながら近くの町の人の生活ぶりや身近な人たちのそれがぼんやりとうつってきて、言様のないさびしさと、期望しても期望しても満されない佗しさがあった。譬えて見れば、お正月になったら賑かだろう、――賑かだろうという漠然とした思いのなかに、子供の空想と希望と理想が充満している。それが元旦の夕方ちかくなると、ああ、もう日が暮れるのにと、どうしていいかわからない物足りなさが憂鬱をもってくる。それにも似た――事はまるで違うが、日々にぶつかる余儀ないさびしさだった。
 ある日、あたしは母の父の顔を穴のあくほど凝と見た。この老爺さんは寺院で見る大木魚のような顔をしていた。木魚は小さいのは可愛らしいものであるが、大きなのが茵を敷いて座っていると、かなりガクガクとした平たい四角である。老爺さんの顔も大きな四角なお出額で顎も張っている。そのくせ鼻は丸く安座をかいていて小さい目は好人物というより、滑稽味のある剥身に似た、これもけんそんな眼だ。白い髭が鼻の下にガサガサと生えて、十二月の野原の薄のような頭髪が、デコボコな禿た頭にヒョロヒョロしている。悪口すれば、侏儒ともいえる、ずんぐりと低い醜い人だ。
 その前にも逢ったかも知れないが、アンポンタンが意識した初対面の印象だった。彼の身辺は石炭酸の香がプンプンした。
「ヒョウソになる性だから、これは働きながらでは無理だ。」
 そういって女中を――台所働きの女中をおさんどんと呼ぶころだった。そのおさんが昨日足の裏を咎めたのを気にしないでいたらば、熱が出て腫れあがったのを診察して、養生にかえすようにと言った。
 老爺さんが洋科のお医者が出来るのも初耳だった。あたしの家は頑固で、漢法医にばかりかかって練薬だの、振りだしだのを飲ませ、外傷には貝殻へ入れた膏薬をつけさせていたから――洋科の医者といえばハイカラなものと思っていたあたしは、石炭酸の匂いに厳粛になり、この汚ない老爺さんに呆然としていた。
 そのまた老爺さんの言…

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