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女優
じょゆう |
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作品ID | 45352 |
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著者 | 牧野 信一 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「牧野信一全集第五巻」 筑摩書房 2002(平成14)年7月20日 |
初出 | 「モダン日本 第四巻第七号」文藝春秋社、1933(昭和8)年7月1日 |
入力者 | 宮元淳一 |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2010-11-03 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 18 ページ(500字/頁で計算) |
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文科大学生の戸田の神経衰弱症が日増に亢進してゐる模様だつたので、私は彼を百合子に紹介した。百合子は女子大に通つてゐたのだつたが、彼女の都会生活の風聞に関して、実家の人達が極度の寒心を覚えて反対するところから、通学を断念してゐた。そして、仏語の家庭教師を欲しがつてゐた。
あの閑静な田舎で、百合子の語学研究の相手でもしながら田園生活に親しんだら、間もなく戸田の病気は回復するであらう――と、私は考へたのである。
これは、戸田の、或る草稿からの抜萃である。
一
どういふわけか僕といふ人物は、誰にでも、凡そ女のことに関しては、大丈夫な男である――と信用されるのが習慣であるが、この家でも矢張り間もなく絶対信頼をされてしまつて、はじめのうちは近所の農家に間借りしてゐたのだつたが、百合子の母親のすゝめで、此方に同居することになつてしまつた。
母家と池を隔てゝ築山の木陰にある古い西洋館の一室を与へられた。百合子の書斎もこの二階にあつて、食事と眠る時の他は大概此方で暮してゐる。休暇中の男女の学生の友達と百合子の往来はさかんで、麻雀などがはぢまると徹夜になつたりすることもあつたが、僕が居る間は、何事も安心だ――と彼女の母親などはすつかり落付きはらつてゐた。
「この間までは、少し遅くなると何うも心配で時々のぞきに来ずには居られなかつたのですが、左うすると百合子は不機嫌で、窓から飛び出して夜遊びに出かけるなんてことになつたんですもの……」
余程母親の眼は煩さかつたものか、今でも彼女達は往々窓を抜けて、夏蜜柑の樹が繁つてゐる裏庭から、更に塀を乗り越えて出入するのを僕は屡々眺めるのであつた。母親の態度も少々極端で、百合子が泳ぎに行きたがるのさへ面白がらぬ程だから、無理もないとは思ふものゝ、決してそんな仲間入りはしない僕から見ると、奴等のカラ騒ぎには反感を覚えるのである。――しかし、未だ海がさかんであつた時分、朝毎に百合子が此処を脱出する光景は仲々観物であつた。恰で脱獄者のやうであつた。
二階の窓から縄梯子をぶらさげて、水着ひとつになつた百合子が、真下の僕の窓先とすれ/\に降りて来るのだ。僕は窓下の机に四角張つてゐるのであるが、彼女のサンダルをつけた脚だけが先に恰度僕の頭の上あたりに現れて、直ぐに梯子を巻きあげて呉れといふ合図のために窓の端をこつ/\と蹴ると額にでもその爪先があたりさうだつた。これでは、さすがに僕の胸も震えた。恰も裸形の、あの美しい百合子の五体が、爪先から順々と降つて僕の顔を撫でゝ行くやうなものだから、――そして彼女は、庭に降り立つと、母屋の方へ向つて会心のウヰンクを投げたかと思ふと(ペロリと赤い舌を出すこともあつた。)雉子のやうに木蔭に姿を没するのであるが、同時に僕は慌てゝ梯子を巻きあげるために二階に走つて、見ると、百合子の赤い帽子が非常な速さで灌木の間…